4時21分のビヤ・パーティ: 酒の飲み方(3) 都市労働者

画像アーネムランドでフィールド調査をしていたころ、なか休みにダーウィンのまちに出てきたら友人から、「金曜の午後、オフィスに来てくれ、16:21からパーテイだ」と誘われた。

4時にいくと、みんないそがしく立ち働いている。仕方なく、調査終了時の事務処理の話などしてたら4:20に終了のベルが鳴った。オフィスの雰囲気が一変、机の下からブラウンバッグ(外から見えない)に入ったビールやワインがぞくぞくと出てきて床に積み上げられた。栓が抜かれ、缶や瓶からそのまま飲む。さすがに公的な場所で酔っぱらうのはためらわれるのか、ひとしきり盛り上がったあとさっさときりあげ「さー、パブに行こう」。パブはすでに半ケツの短パン、Tシャツ、ブーツという作業着のままの人で満杯だった。

彼らの飲み方は強烈で、理想は机の下にたおれるまで(この考えが、アボリジニに影響しているらしい、白人がモデルなのだから)。「労働は悪だが、義務でもあるからきっちりやる、しかし、終われば時間はわしらのもの。パブに行かなきゃ一日は終わらない」。

人間社会を動かす産業は、大筋では、狩猟採集-農耕-工業へと段階的に変化してきた。工業化が大きな社会変化をもたらしたのは、イギリスから始まった産業革命がきっかけで、人口の都市集中が起こり、狭い区域に、出身地(と文化)の異なる人および集団が密集して住むようになった。彼らは、食糧の生産には直接関わらない。しかし、労働はきつく、収入が不安定でまずしく、生活環境の劣化といったひどい状況に追い込まれた。とくに初期の段階では惨憺たるものだったことは、オリバー・ツイストやどん底などの文学に書かれているとおりである。ストレスから逃れるもっともてっとり早い道が(安い)サケであった。

英国の歴史をみると、社会転換期にはまずビールの消費量が上がり、18世紀になるとアルコール度数の高いジンやラムなどの安酒にかわる。その弊害は大きく、政府は禁令や値上げなどで、防戦につとめることになり、民衆側からは、女たちの不満が19世紀の禁酒運動へとつながっていったことがわかる。

オーストラリアはまず、囚人の労働力で開拓を始め、その後も故国で食い詰めた人がやってきた。とくに、英国に迫害されたアイルランド系の人たちが労働力の主体となったことは周知の事実である。その苦闘の歴史のなかで編み出されたのが、度数の低いビールへの回帰であった(ハードリカーを恐れる気配があり、買うにもいろいろ手続がめんどうである)。これは下級労働者の飲み方の知恵なのだろう。

(カンチョー)

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