私は千里で生まれ、3歳から11歳ぐらいまで千里を離れるものの、小学5年から30歳になる今まで、ずっと千里に住んでいます。
展示班から、千里で生まれ育ったという視点で展示を考えてほしいという話がありましたので、まずは、自分の子ども時代を思い返してみました。正直、3歳までの記憶は皆無です。すみません。
約20年前。小学校は、藤白台小学校。小学校5年時、1学年4クラスありました。
放課後は・・・
・塾に行くか、
・同級生と府公社住宅の間の遊園で遊ぶか、
・人数が集まれば、保育園横の空き地で野球をするか、(ただ、試合ができるほど
の人数は集まりません。せいぜい5人ぐらいでした。)
・時々、友人の家で「ファミコン」をするか、それぐらいの記憶しかありません。
塾に行く以外は、日常的に藤白台から出ることはなかったと思います。子どものうちは、近隣住区理論にはまっていたということでしょうか。
買物は、家の位置からも近隣センターに行くことはほとんどなく、北千里に出かけていました。近隣センターに行くときは、学校指定の体操服や名札を買いに行くときだけでした。
小学校では、竹クラブの部長でした。たいしたことはしていませんが。今思うと、「千里の竹」を意識して作られたクラブだったのでしょうか。
中学、高校時代。
藤白台小学校は1年半でしたし、私立の金蘭千里に進んだので、地元の友人とは疎遠になってしまいました。しかも、近所に住む友人がおらず、基本的に1人で遊んでいたように思います。比較的近い、箕面の粟生間谷の友人とはよく遊んでいました。
中学時代は、自転車にも乗り、行動範囲も広がりました。千里NT内で遊んだと言えば・・・
・千里中央のセルシー。
ゲームセンターやボーリングで遊んでいました。
・北千里の専門店街にあった、ゲームセンター。
ゲームセンターは「不良の遊び」という感覚があって、みんなで、こっそり遊びに行くという感覚でした。(いまもそうでしょうか?)
その他は、
・千里北公園で自転車を乗り回したり・・・
千里NTの中で遊ぶと言えば、それぐらいです。
地元との関わりはまったくありませんでした。時々、生協の共同購入で、親の代わりに荷物を取りに行き、ほんの少し近所のおばさんたちと会話をするという程度でした。
ただ、公園を自転車で走り回っていることや、よく家の前でラジコンを走らせていたことは、近所では有名だったようです。人通りは少なくても、意外と見られているんだなと思った記憶があります。
子ども時代を思い返してみても(特に遊びについて)、あまり記憶がはっきりせず、これは特殊な例なのかなという思いを持っています。
既に書きましたとおり、他の住区に足を運ぶことはまずなく、大学生になってから初めて、同じような「住区」が12箇所もあることを知りました。
また、ずっと住んでいると、この町が「普通」に思うわけで、
「どの道も、どの家も同じように見えるから、今どこにいるかわからなくなる。」
「均質、画一的な町で、気持ちが悪い。」
「何もない。」
「緑が多い。」
そういった千里NTに対する意見はすべて新鮮かつ意外でした。
「普通だ」と思っているからこそ、この千里NTに対して関心を持たず、友人を求めて外に出て行ったのかなとも思います。
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