「千里弁」というものがあるとすれば

千里ニュータウンの大阪弁は他の大阪の町と違う…とはよく聞いたものですが、どうなんでしょうか?「千里弁」の特徴を一言で言うと「薄い関西弁」。NT住民はいろいろな地方から来た人の「寄せ集め」ですから、いろいろな方言の特徴がミックスされて、いわゆる標準語に近くなるのは、自然な成り行きとも言えそうです。

1966年当時の調査によれば、NT住民の前住地は9割が近畿6府県。トップは大阪(次いで、兵庫、京都、奈良…)。近畿以外で多いのは、東京、愛知、福岡、岡山の順。山形県を除く45都道府県(当時はまだ沖縄は統計に入っていません)からの転入があり、「全国出身地」の町だと書かれています。

いわば地方から大阪へ来た人たちの受け皿だったわけですが、実際には地方から千里へ直接来る前に、どこか大阪近辺の他の町に出てきて、生活が落ち着いてから家を探して千里に来た…人も多いはずですから、近畿以外出身者の比率は、この統計よりもっと高かったと思います。学校の友達のご両親の出身を聞いても、四国とか九州とか、すごく多かったような気がします。(特に西日本)

もう一つの要素は、東京(首都圏)との転勤族の行き来です。新大阪にも大阪空港にも近い千里は、東京にも近い町です。時間も速く行けるし、土俗性を感じないフラットな町の雰囲気は、転勤で大阪に来た人にも溶け込みやすかったんじゃないでしょうか。千里ニュータウンの大先輩である千里山住宅地も、関東大震災の直後に分譲され、東京から震災を逃れて関西に移り住んだ人が多く入ったため「東京弁の町」と言われたそうです。

高度成長期の都市への人口移動と、NTはサラリーマンの町であり、サラリーマンは転勤するものである…ということが、NTの言葉の特徴を作っているのでしょうね。

じゃあ東京弁なのか?と言うと、やっぱり関西弁ではあるわけで、でも「薄い関西弁」。方言学では「全国共通語」と「方言」の間に「地方共通語」というものがある…と考えるようですが、まさに大阪弁を土台に関西一円、西日本一円の言葉を混ぜて、東京の影響を混ぜて、薄く共通化させたような「関西共通語」が「千里弁」と言えるかもしれません。

「関西弁!」と言うと、すぐコテコテのくど~い、熱~い言葉を期待する人が(特に東京に)いるので困ってしまいますが、千里弁はもっとハイブリッドなのです。最近は千里でなくても関西弁が薄くなってきているような気がしますが…関西全般が「千里化」してきたのかな?

(by okkun)

コメント

  1. 私も五月っ子 より:

    大阪へ出てきて37年。五月が丘に27年。そのころ五月が丘の地名はなく、大字山田下と大字小路・大字佐井寺が入り乱れた地域でした。竹やぶが残っていて切り開かれた草むらの上では空高く、ひばりがピイチィクチクとよく鳴いていました。とんびも輪をかいていました。3・4月まさに移動の時期。地域内では引越しの車がよく止まっています。公民館にも引っ越して来ましたとおっしゃる訪問者が多いです。今日も2名ほどそういった来館者がありました。出入りの多い地域には違いありません。仲良くなってもすぐに、別れが来ます。そこにはあっさりした人間関係した築けないのでしょうかね。

  2. カンチョー より:

    千里弁=うすい関西弁 千里弁が関西弁を基本にしたハイブリッドことばというのはおもしろい意見ですね。わたし自身の経験で言えば、大学に行くまでは香川県観音寺市におり、カンオンジ弁(近隣の村とはだいぶ違い、町のなかでも、地域差があった)を話していました。それでも、東では、関西弁だったようです。もちろん、方言はつかわず、いまおもえば、たいへん神経を使いながら、標準語、でも、アクセントはどうにもなおらず、このルックスとスタイルを生かした映画スターへの道をあきらめました。1876年から、ミンパクにきたのですが、まわりはほぼ関西弁、肩の荷がいっきょにとれちゃって、ラクになったことをおぼえています。それからの日本語は堕落一方。「テレビに出てもカンオンジ弁をしゃべるんやなー」とクニではよくいわれます。

  3. 千里っこ より:

    ニュータウンの外の府立高校に進学しました。すると、その「薄い関西弁」が、きどった話し方と言われ、同じ大阪なのにカルチャー・ショックを受けました。こちらは普通に話しているつもりだったのですが・・・それで、在学中はすこし「濃い」めの関西弁を話すように努力していました。(家でそのまま話すと、どうしたの、その話し方と、非難を浴びるので、使い分けてました。もっとも、高校生ぐらいの時は、仲間用の独特の言葉づかいなので、それを注意されたんだと思いますが。)近頃、同窓会に行って普通に「薄い関西弁」で話しても違和感がなくなりました。多くの人が進学や就職で他地域で暮らす経験をするようになって、言葉が変化してきたんでしょう。ようするに、日本全体が「千里化」してきたんだと思いますが、どう思われますか?

  4. あかちゃん より:

    関西に住んでかれこれ25年、京都に3年、今の五月が丘に22年になってしもたワシ。「結構長いでんな」「なごうおますで」なんぞ言うたらどつかれまんな。関西にきた初期段階では、なんとかなじもうとずいぶん努力したものです。しかししゃべる度に失笑を買い、あきらめました。浅草生まれの三代目、江戸っ子のしゃべりはぬけず、いわゆる「東京弁」。今住んでいる五月が丘は転勤族やニュータウンからの流れ族が多いせいかもしれませんが、まったく違和感がありません。つまり千里ニュータウンから見れば、はずれ・はみだしの地域で、異種混合・付和雷同・不純交際・馬耳東風・唯我独尊の地域。使用言語は何?少なくも由緒正しい「千里弁」ではありません。この地域の特性観察も小ネタにはなるかもしれません。まとまりの難しさをしみじみ感じる次第です。(あかちゃん)

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