大阪はミナミ、宗右衛門町のSという店で、麦焼酎のお湯割りを片手に先生とあのよき時代を語るのが楽しみだった。図々しくも先生のお誘いに甘え、日本のグラフィックデザインの黎明期の話を聞くのはうれしかった。
先生は日本を代表するクリエーター。
亀倉雄策、原弘、永井一正といった蒼々たるアーチストが輩出した時代に片隅で仕事ができたのは夢のようだった。横尾忠則が新人だった時代である。しかし先生は私との次の楽しい話を約束していたのに、5年前に仕事先で亡くなられた。
「EXPO’70」の第一号ポスター(1966年)は、大高猛の作品。第2弾、第3弾と手がけられた。その制作意図などを交えながら紹介できたらいいと思っている。
大高先生との痛飲の写真となじみ深い代表作を示し、先生を偲びたい。
(あかちゃん)
コメント
カ・カ・カ!ブヌードルかプラトンか。 -サンサン ト・・●赤だだぞ- みんな悩んで大きくなった。 山崎50年・・そうか万博と同期頃か・・10万円ボトルも・シングル1パイ<2千円>・・エトセトラ。 私にも「写」せました。 新婚さんで持って行きました。 8mmフィルム残っていません。 暗闇も明るみも知らない/借りた8mmのレンズキャブはおそらく、珊瑚礁と・・・。 罰も罪・・ドド・・良き友・・尼・・アマヤンか・・にあり。 今日は♪♪!!(*^_^*)(;_;)<和・・の時代>の時代だったんですよ・・EXPO’70。 「ワニ象」さん 液晶100インチは、100万もいらんよと、 青に良し・・、シヤープな奈良の友は言います。 これで3回目 プッン パソ(馬ソ)コンちゃん。 呼び名変えたら、ご機嫌。 アアシンド!!。
てつさん・・・。呼んで「何をするか、させるか」が問題。でもいいか。もうひとり呼びたいクラスメートがいるんです。ほりえもんとやりあったニッポン放送のカメ。亀淵昭信です。彼の語りはおもしろい。プロですから。天下の博物館で、あかちゃんの我儘同窓会してもいい?
3万人?カンチョーは5万人って言ってませんでしたっけ?ここでバラしちゃいますけれど…外国のお客様もたくさんお呼びしたいですね。ゾウのHIROBAは(もし生きてたら)ビデオ出演でもいい。ところで人名の件は失礼いたしました。ご指摘ありがとうございました。
重箱の隅つついてごめんなさい。でも、大村昆じゃなくて大村崑ちゃん、西山卯三ではなく西山夘三氏、、、人名はむずかしいです。
わぁ つぎから次へと いろんな話しが飛び出して来ますね(^_-) あかちゃん 若い(^^)