わたしと万博(22-3)…千里ニュータウンという展示物

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大阪万博では千里ニュータウンそのものも展示物であったのではないか。

千里ニュータウンの真新しい「団地」群は当時の日本人に圧倒的なモノの迫力を示していたように思う。皮肉だがモノの迫力としては万博の展示物よりコンクリートの「団地」群の方が勝っていたかも知れない。車窓から「団地」群を見ただけの人も日本の「ニュータウン=新しいマチ」を実感したに違いない。

当時の報道写真には、手前に万博、遠景に千里ニュータウンを配したものが結構あったように思う。(*1)つまり、ジャーナリストも万博とニュータウンをセットとして、新しい日本を感じ、伝えようとしたのだろう。

コンクリート製の住居や「団地」は従来から存在したのだから、千里ニュータウンが「新しいまち」というイメージを与えた理由は、単に公共施設などが完備し、街並みが整然としているということだけではないだろう。そこには何か新しい生活スタイル・生活文化があるかのように、ニュータウンはある人々には高尚なイメージを、ある人々には妖しい魅力を撒き散らしていたのだろう。

例えば、映画「団地親分」(*2)では、団地に身分洗浄機能があって、やくざの親分も団地に住めばたちどころに「文化人」に変身できることになっているし、映画「団地妻」(*3)では昼下りの情事が団地に頻発することになっているらしい。

しかし千里の住民は、これらは、いずれも団地・ニュータウンの虚像であり、お伽話にしか過ぎないことを知っている。ニュータウンでは田辺聖子さんの小説(*4)に登場する団野夫妻のような平凡且つ健全な生活が営なまれて来たのである。

そのような等身大の千里ニュータウン像を、小山先生に叱咤激励されつつ、市民が「情報化」し、吹田の博物館で、千里の公民館で「展示」したのが「千里ニュータウン展-ひと・まち・くらし-」だったのではないか。それは大阪万博から36年目のことであった。

(*1)毎日ムック「戦後50年」p219
(*2)「団地親分」(1962年)、製作:関西喜劇人協会、脚本:花登筐、出演:伴淳三郎、榎本健一、森繁久彌 、花菱アチャコ、初音礼子、藤田まこと、正司歌江 、照江 、花江 、ミス・ワカサ 、南都雄二、秋田Aスケ、Bスケ、ミヤコ蝶々 などなど
(*3)日活ロマンポルノ「団地妻シリーズ」
(*4)田辺聖子「すべってころんで」中公文庫…(1972/5/29~12/9朝日新聞夕刊に連載された。夫・団野太一 当時45歳 昭和2年生まれ、妻・団野啓子 当時41歳 昭和6年生まれ、全編千里が舞台。)

(kafuku)

※写真は手前が千里NT(北千里地区)、向こうが建設中の万博会場。本文中の例と前後が逆ですが…千里NT住民の目から見ると、こうなります。(by okkun)

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