1970年大阪万博!
当時、私は京都から大阪淀屋橋の会社まで毎日、2時間近くかかって通っていました。入社5年目、そろそろ中堅にかかろうか、仕事がわかってきて少しのゆとりが生れる時期。丁度そんな時、地味な機械関係のわが社に似合わない垢抜けた女性が入社して来ました。「なんでや?」とのみんなの疑問の中でその答えはすぐ判りました。彼女は万博のコンパニオン(ホステス)としてわが社に所属し、わが社から万博へ派遣されたのです。
ということは、入社したとはいえ、我々一般社員と顔を合わせることも余り無く、早々に研修の場へ行ってしまったのです。そして万博期間中はたまに会場へ出かけても混雑した会場では見つけることも難しく時間ばかりが淡々と過ぎました。
往復の電車の中から遠く観覧車を見るたびに、「今頃、元気に笑顔を振りまいているのだろうか」と思ったり・・・。
そして万博が終わって、彼女はわが社に戻り、私と同じ部に配属されました。当時、彼女は22歳、当然の如く我々の間ではアイドルになり、みんなであちこちへ遊びに行ったり、飲みに行ったり。また、彼女から万博の苦労話しを聞いたり、どの国の人がきれいだったとか、他愛なく楽しい話しを繰り返し・・・青春そのものの日々でした。
そして突然彼女は退社しました。我々みんなはあっけに取られ呆然とするだけ。誰が彼女を射止めるか、誰も口には出さないもののお互いにライバル心むき出しで過した日々は何だったのか。「女って判らないなぁ」・・・
あれから35年余り、彼女は60歳に手が届く年になっている。ひょっとしたらもう“おばあさん”になっているかも知れない。きっと明るい元気なおばあちゃんで、孫と一緒に飛びまわっているかも。
当時彼女は茨木に住んでいました。今はどこに居るのかわかりません。でも、ひょっとして「万博展」へ来るかもしれない。そんな淡い期待を持っています。
この軟弱さ!
これこそ万博につながる郷愁というものでしょう。とっくに忘れた筈のこんな記憶が“EXPO70”の文字と伴に頭の中によみがえりました。今から「万博展」が楽しみです。必ず行きます。
(K)
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