高樋 補遺

古代の摂津、吹田から馬場町への水道建設を考えていたら、H氏が訪ねてきた。かれはK建設から中東に駐在していたことがあり、工事関係はちょっとうるさい。
わたしの書斎からは若草山がよく見える、距離はまあ10キロくらいか、イメージとしてはちょうどいい。

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「あそこからうちまで水をひくわけだ、業者にたのんで水道パイプをひけばいくらかかる?」
「色々サイズがありますよ。それにパイプはなかったでしょう」
「難波の都人の水供給を考えると、少なくとも1万人か。ローマ帝国の水道に負けないものを考えなければならんのかなー」
「吹田の泉にそれほど水が湧くのかなー」
「アサヒビールの売り上げを見ろ」
「10kmを、20mの高低差なら不可能じゃないかも。しかし、淀川を渡るとあとは平らな沖積層。下が悪いし、湿地があるし、樋の支え構造が大変だなー」
「途中何カ所かに樽をおいて、そこからサイフォンで水をあげる?」
「タルじゃ”ながしそうめん”ですよ。サイフォンは高さをかせげないから、貯水池をつくって、水車のような揚水施設を置くか」

若草山から10キロのナガーイ「ながしそうめん」の樋から、ローマ帝国の壮大な水道橋まで、話はとびまわって日が暮れてしまった (どうせヒマなんだもん) 。

かつて、『季刊大林』は仁徳天皇陵、万農の池、宇宙ステーションなどを復元し、どれくらいの費用と期間、それに人数が必要かを復元する企画があった。三内丸山遺跡がでたとき、その復元プロジェクトに参加した時のことを思い出して楽しかった。

(カンチョー)

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