昨日(11/23)は「岸辺の民話の読み語りと紙芝居」が行われました。
朗読工房の村西菊代さんの朗読と山崎日出子さんギター伴奏で「釈迦が池のうわばみ」、「カモ射ち殿下とと七尾の元吉」の2編と、
吹田高校演劇部の紙芝居「青い龍」。
このところ、飛騨の益田清風高校、大阪インターナショナルスクールと学校関係の記事が続いているので、ここでは、博物館と学校、とくに高校とのかかわりについて述べたいと思います。
すいはくの入館者の年齢的な分布を見ると「子ども」と「老人」が圧倒的に多く、中、高、大学生そうの参加が少ないことがわかります。この年代は受験、就職という、大げさに言えば、人生をきめる転換期にあたり、勉強におわれる時期といえ、一般教養に時間を費やすことはできないことは、一時もてはやされた「ゆとり教育」が尻すぼみになっていったことからもわかります。しかし、その反動でしょうか、成果でしょうか、社会実習や博学連携といった形で学校が博物館に注目し始めたという動きも感じます。博物館側から言えば、ありがたいことですが、若い人たちにどう対応していくかが問題でしょう。
すいはくの自慢の企画に12月から開催の「むかしの暮らしと学校」があります。これは小学校3年生を対象にしたもので、市内のほとんどの学校が団体でやってきます。この年代だと、授業の一部として、組織的におこなうことはあまり問題ないでしょう。
しかし、中・高生になると、興味の対象が大きく開けることもあって、授業として強制することは無理だと思います。わたしは、この点については彼らの自発的な動きを待つほうがいいとおもいます。
吹田高では演劇部の生徒が紙芝居をやったのですが、演劇部では年2回公演をやっているそうです。ほかにも、ため池や植物の調査など、クラブ活動に基くものが多いことに気づきます。飛騨の高校でも、授業の一環ではあるものの、郷土食をどう売り出すか、介護ケアはどうすべきかという難しい問題でも興味さえ湧けば積極的になることがわかり、直接話してみても生き生きとした反応が返ってきます。
教育は(とくに日本では)どうしても「上からの目線」になりがちですが、博物館は間接的あるいは補助的な場として、もっと緩やかに対応すること、具体的には、先生とだけでなく、生徒たちとの対話をもっと行うことが必要だと思います。
(カンチョー)
コメント
中学、高校、大学とのからみがけっこうキーポイントになるのかな、何か装置がいるのかな、と思ったりします。
積極的に博物館の側からもアプローチする…とか。
それにしても、中学生は部活で忙しい。さぼって講座に来るのに四苦八苦してるようです。
教育は(とくに日本では)どうしても「上からの目線」になりがちですが、博物館は間接的あるいは補助的な場として、もっと緩やかに対応すること・・・。大事なことと思います。しかし、館長さんのこの文章が、どうも「上から目線」に感じられるのは私だけでしょうか?失礼なことをいうようですが、ご一考くだされば幸いです。