4月14日(土)14:00~15:30
「マンガとSF -子どものまなざし-」
この週末の土曜日は、小松さんの作品(マンガ、テレビ、映画もふくめ)に子供たちが、どんな影響を受けたかを体験者の立場から語ります。そのうち小松さんの思想をを題材とした論文がハンランするようになるでしょう。ご期待ください。(カンチョー)
子どもからみた「小松左京」
小松左京の作品は、いうまでもなく多種多様である。私は子ども時代に、本棚の端から順に種類を問わず小松作品を読みあさるという幸福な体験をした。そのころ、あるタイプの話に不思議な感覚を抱くことがあった。そのタイプとは、『空中都市008』など子ども向けに書かれたものである。子ども、つまり近い未来の世代にむけて小松左京が発したものがなんだったのかを、当時の感覚を振り返ることで問い直してみたい。
石毛 弓(いしげ ゆみ)
大手前大学 現代社会学部 准教授
専攻 西洋哲学
1970年 京都生まれ
「トラウマとしての小松左京」
1970年代の前後を中心とする小松左京の作品は、『日本沈没』『復活の日』などの長編・中編はもとより、『夜が明けたら』などの短編ホラーも含めて、当時小中学校生だった私にとっては恐ろしいものだった。それは、世の中が今にも終わってしまうという恐ろしさだけではなく、いま目にしているちっぽけな世界の「へり」をかいま見る恐ろしさがないまぜになったものだったように思う。一方で、『日本アパッチ族』のような焼け跡の名残りとともに、万博など新しいものが次々に建設されていく戦後の大阪の雰囲気、私にとっては父親のにおいのただようなつかしさがある。子供時代に終生続くであろう強烈なトラウマを植え付けられ、今後も生きていかざるをえなくなった被害者の目線に写る将来の世界の姿を展望してみたい。
内山純蔵(うちやま じゅんぞう)
総合地球環境学研究所 准教授
専攻 景観論・動物考古学
1967年 大阪生まれ
「憎悪の世紀」に生きた小松左京
1931年(昭和6年)にうまれ、2011年(平成23年)に亡くなった小松左京は、20世紀という「憎悪の世紀」(N.ファーガソン)を生き、しばしば実体験に裏打ちされた悲惨な破滅や終末を描いたが、そこからの回復や再出発を模索する-「希望を見出す」ことをほぼすべての作品の視野に入れていた。それは何故可能であり、必要であったのか。小松左京が後続世代に遺した『宇宙人のしゅくだい』を果たすために現在の我々が学ぶべきことを、ここに探りたい。
鴋澤 歩(ばんざわ あゆむ)
大阪大学 経済学研究科 教授
専攻 経済史・経営史
1966年 大阪生
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