4/23・片寄先生講演+市民・市長を招いてのフォーラム

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大阪人間科学大学教授・片寄俊秀氏の講演
「千里ニュータウンの開発理念と花鳥風月のまちづくり」

片寄先生は、1962-1970年、千里ニュータウン開発期に大阪府企業局に在職。若き技師として、千里NTを設計した「生みの親」です。その後、長崎に移られてから、このビッグ・プロジェクトの資料が散逸していくことに思いあたり、ライフワーク的使命感を持って『千里ニュータウンの研究』をまとめられました。

当時の大阪府企業局は多士済々の集まりで、用地買収からバス停の名前決定まで何でもやらされたと。イギリス・レッチワースでのNT発祥から、旧満州国での都市計画、アフリカでプレハブ住宅の実験をした話まで、縦横無尽に「ニュータウン」を語っていただきました。

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さて、千里ニュータウンの「開発理念」は…?実は「なかった」との意外なお話!当時の住宅困窮状況の中で、とにかく短期間に大量の住宅を供給することが国策として求められたと。ただ、公園緑地率を24%も取った「理想」はあって、この数字は後発のNTよりはるかに多いとのこと。それが可能だったのは「土地が安かったから」住民に売らない「非分譲地」を多く取っても採算に合ったのだと、当時をご存知ならではのお話が伺えました。都市開発は「事業」でもあり、たえず「モデル」と「ペイ」の葛藤に挟まれる…とのお話でした。

せっかくええまちを作ったんやから、立派にリフォームしていつまでも大切に住み続けよう!それが人間としての英知というもんや!日本を代表するNTとして、ますますええまちに育てて行きましょう!…とのアピールに一同拍手喝采!

※『千里ニュータウンの研究』はオンデマンド出版で入手できます。→こちら

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フォーラム千里住民代表+市長
「まちびらき当時を語る・憧れのニュータウンに住んで」

小山修三館長がコーディネーターとなり
○吹田市高齢クラブ連合会女性部長 榊 清子さん
○豊中市東丘校区福祉委員会会長 高野光男さん
○元吹田市消費者問題研究員 木村満子さん
○吹田市長 阪口善雄さん
○佐竹台連合自治会会長 谷川一二さん
をお招きし、駅もなかった頃からトイレットペーパー騒動まで、大変だったけれど楽しかった、まちびらき当時を語っていただきました。

「引越し魔だった夫の引越し癖が千里に来てからピタリと止まった」(木村さん)
「団地の棟はどこも似ていて家を間違えられることもあり、帰宅したら知らない男の人がコタツで寝てたことがあった」(榊さん)
「昔はベッドタウンで、向かいのご主人の顔も何年も知らなかったが、今では妻よりコミュニティ活動に邁進している」(高野さん)
「実はNT開発前の桃山台あたりで桃を作っていた」(阪口さん)
「同僚に誘われて応募書類を出したら、自分だけ当選してしまった」(谷川さん)
…と、あいつぐ爆笑発言に、小山館長もツッコミ甲斐満載で楽しそうでした。

(by おーちゃん+okkun)

 

コメント

  1. (ほ) より:

    片寄さんとは、ひょっとしたらあのブワナ・トシですか。アフリカで家を建てたというのでそうおもうのですが。

  2. okkun より:

    (ほ)さんへ:そうです。最新著書は「まちづくり道場へようこそ」。こちらも名著です。
    http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/book/5242dojo/chosya.htm

  3. (お) より:

    市民の思い出を、千里の歴史として、かたちあるものにしていく活動が必要なんじゃないな・・と思いながら聞いていました。木村さんのゴミ焼却炉反対運動のお話、立ち上がった主婦たちの気迫と結束がよくわかり、興味深く聞きました。山地さんの「新しき故郷」にも、この運動の経緯などが書かれていますが、官の見方ですよね。当事者の思いを、断片でもいいから記録に残していく必要があるんじゃないでしょうか。今、やらないと、もう消えていくだけ・・・

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