建物の転用例の一つが、サンフランシスコにある科学博物館エクスプラロトリウムである。1914年のパナマ運河開通を記念して1915年に開催されたサンフランシスコ万博(パナマ・太平洋万博)の跡地は、市民に親しまれる海辺の公園、その一角、古代ローマ建築風の列柱を通り抜けると、教師に引率された小中高校生や子供連れの家族で常ににぎわう入り口に達する。万博当時の美術宮が修復される際に、フランク・オッペンハイマーの提案を受けて1969年に開館したのがエクスプロラトリウム、昨年の入館者数は53万人を越える。
物理学者だったフランク・オッペンハイマーは、1945年に「原爆の父」として知られる兄ロバートが指揮する「マンハッタン計画」に参加し、その後も物理学の研究を大学で続けていた。しかし、その後の水爆開発に反対したことや共産党員だったことから、悪名高いマッカーシー旋風によって1949年に物理学界からレッド・パージされた。その後10年間はコロラド州で牧場経営を余儀なくされたが、彼の好奇心は決して失せることはなかった。牧場経営でも数々の発明を生み、その結果1957年には地元の小さな高校の理科教師に招かれ、生徒達とともに、ゴミ捨て場から集めた様々なガラクタを組み合わせて、機械、熱、電気などの原理を理解する教材群を作り出していった。1959年にはコロラド大学に招かれて物理学研究に復帰するとともに、実験室教育の改革を進め、学生が自らのペースで物理現象を理解できるように教材を組み合わせる「実験ライブラリー」を考案した。これを基にした提案が採用されてエクスプロラトリウムが開館、1985年に亡くなるまで彼が館長を務めた。
開館以来、この博物館は参加体験型博物館として世界中の科学博物館やこども博物館に大きな影響を与えてきた。これまでに650を超える展示が考案され、常時約400が展示されている。開発された展示の一部は世界中の科学博物館や子ども博物館に導入されている。
展示場は柱のない大空間、各展示は、抽象的な原理をできるだけ動きと視覚に還元する工夫が素晴らしい。例えば、目に見えない音波を水の動きで可視化する工夫、遺伝子を構成する四種類の塩基からタンパク質が合成される仕組みを、ジグゾーパズル片を組み合わせるベルトコンベアーで理解する工夫などが面白い。聴覚や視覚など感覚器官の錯覚をテーマとする展示の多いのは、何事も相対化する姿勢を養う狙いがあるのだろう。また、実験スタジオを定期的に開き、担当者が応対する。その準備実験室や新しい展示を作る工作室などがガラス越しに入館者にも見える「バックヤード展示」など、世界各地で見られるハンズオン展示のルーツがここにある。
各展示には、発案・製作者の名前入りで意図と狙いが解説してあるが、理に落ちるきらいがあり、大人と一緒でないと子どもには理解しにくい。親子連れの場合には、親にも自然科学の素養が求められるようだ。私にも、抽象的な知識が可視化されて腑に落ちる展示が多く、子供よりむしろ大人の方が楽しめるのではないか。実際、グループで楽しむ大人が多く、公式サイトの入館者統計を見ても、大人の方が子どもを上回る。もっとも、展示の意図が入館者に伝わっているかどうかの展示評価を大学と共同で行うなど、常に企画と実施、評価が循環的に行われており、その点でも世界の博物館を主導してきている。
参加体験型博物館として、またアメリカ現代史の影の部分を振り返り科学教育を垣間見ることのできる場として、一見の価値ある博物館である。
写真キャプション(上から)
1:元美術宮の建物がエクスプラトリウム
2:左-展示ボランティアが児童団体を待ち受ける入口
右-展示場は大人と子どもで一杯、お祭り空間広場のようだ
3:左-音波を水の動きで可視化する展示
右-四種類の塩基からタンパク質が合成される仕組みを説明する展示
4:左-花の仕組みを解説する実験スタジオ
右-工作室も入館者に見せるバックヤード展示
5:大人も楽しむパラボラ電話
(久保正敏)
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