岐阜県高山市久々野町小屋名(こやな)地区では「しょうけ」と呼ばれる笊(ざる)が作られています。私たちの日常生活の中では、プラスチックや金属製の笊が出回り、竹製のものはほとんど見られなくなりましたが、戦前までは重要な用具として、農家の副業として盛んに作られていました。小屋名のしょうけは「明治中頃、越前(今の福井県)へ山仕事に行った人が、技術を習得して、村人に伝えた、と言われています。明治6年に書かれた『斐太後風土記』に、村の産物欄に「草笥(サウケ)」の記載が見られるので、江戸時代末にあったことは確かなようです。
小屋名しょうけは、底と胴が一体となった浅い楕円形で、丸じょうけと口のついた片口しょうけの2種があります。大きさは、直径30㎝程度の小型のものから、55㎝以上の大型のものまであり、穀類や野菜などの水切りに使用されます。口は、洗った米や豆をせいろや鍋に移すのに便利なように、明治20年頃に考案されたそうです。胴の竹材は内側を丸く削ってあるので、もち米など細かい粒で目詰まりしません。
材料は、スズタケ、高さ1~3m、経7mmの細いタケで、柔らかい2、3年生のものがもっとも使いやすいとされています。縁にはツタウルシ、縁巻きにはマタタビを使います。スズタケ(sasamorpha属)は、北海道~九州の温帯の山地の林に群生するのですが、本州中北部では太平洋側の湿度の高いところに分布しています。
岐阜から飛騨川沿いにJR高山線でゆくと、下流で猛々しく繁茂していたモウソウチクやマダケが次第に勢いを失い、久々野あたりで姿を消します。背梁山脈の南側にあるこの地は寒冷・多雪な日本海型と温暖な太平洋型気候の境界があり、それが竹の分布の違いになってあらわれているのです。日本海型気候のもとではスズタケが自生しないので小屋名の人は南の小坂町まで素材を調達に行っていました。しょうけ5個と交換でスズタケを貰い受けていたそうです。加工具は折れた鎌の先を利用するだけで、とくに専門化したものがないことを考えあわせると、エコロジーの壁をのり越え、貨幣経済に適応しようと努力した農民の姿が目に浮かんでくるようです。
(IY@ひだ)
コメント
うちにも2つありますが、小屋名しょうけ、とってもすてきですよね。1月に開かれる市で、販売されるんでしたよね。(二十四日市でしたっけ?)…また行きたいな。マタタビが使ってあるので、ネコがとろんとした表情で入って来たりします。