午後1時きっかりから3時半過ぎまで、休憩なしのシンポジウムでした。
市内で環境問題に取り組んでいる8団体が、活動内容の紹介をしたあとシンポジウムに入りました。
塩田敏治氏(吹田ヒメボタルの会)
小田忠文氏(すいた市民環境会議)
平軍二氏(吹田野鳥の会)
西川保氏(紫金山みどりの会)
橋本幸治氏(アジェンダ21)
林隆夫氏(吹田地学会)
美濃部剛氏(すいた環境学習協会)
高畠耕一郎氏(吹田自然観察会)
阪口善雄 吹田市長
(館長)吹田には自然がないと思っていたが、そうではないことがわかってきた。
吹田育ちの市長の思いは?
(市長)市内で活動している環境団体が一同に会し、それが歴史博物館で開かれたということは画期的なできごとだ。来年の市制70周年は吹田再発見というテーマで開催します。今日の各団体の発表は市内に関心を持つことのできる自然がこんなにある、まさに吹田再発見でした。各団体は行政の手の届かない点を掘り下げて活動なさっている。
昭和35年(1960年)ころが吹田が農村社会から都市型社会に変化する変換点でした。その中で万博跡地が40年で自然の森のようになった。都市の自然は再構築できるのだなと実感した。行政と市民の団体と連携して吹田の自然の再構築をしていきたい。
(平)鳥の立場からみた自然と一般に言う自然とは少し異なる。草原の鳥、河川の鳥、森の鳥など鳥は好みを持っている。昔なら田んぼに来る鳥が少なく、ニュータウンでは林を好む鳥が来ている。
堺の臨海工業地帯にある「堺73区」は共生の森として木を植えている。そこに草原を好むチュウヒという極めて貴重な希少な鳥がいる。
単なる草原なので、関電が太陽光発電基地にしようとしている。地球温暖化対策と生物多様性という概念が衝突している。
≪吹田の自然の評価をどう考えてるか≫
(西川)自分はサクラなど木に咲く花が好きだ。家内は小さな植木鉢の花が好きだ。人によって自然の好みは多々ある。
吹田の自然は開発されながら少しずつ残っている。しかし残っている自然は着実に減っている。一方万博では森が育っている。
(林)吹田の自然は末期的な状態だと思っている。ニュータウンは土地造成の結果、アスファルトとコンクリートで固められてしまった。この土地は山を削って谷を埋めて平坦化した場所だ。
水田を埋めて作った街は沖積平野で昔は川が流れていた場所で軟弱地盤。
丘陵地を削って谷を埋めた場所は地盤が弱くなっている。
地震が起これば大被害が出るだろう。地震対策は地盤対策だ。
街の中ででは地層が見られる場所がなく、地学的研究、追跡ができなくなっている。マンション開発などで土地を造成する時に出てくる地層を保存できるようになってほしい。
(館長)人類が農業を始めたときから土地改変をおこなってきた。
(小田)50年前までは多くの生き物と共存してきた。しかし昨今生き物の数は減っている。
原因は水との関係が薄くなったことだ。池や川がコンクリートで固められたものになった。田んぼの周囲には多くの雑草があった。田んぼがなくなってきたことは国の施策によるものなのだが…。
今後吹田では川に親しめ、生きものが生息できる環境を作っていくことを考えたい。
市民が三面張りの川よりも「堤防に草の生えた川の景色の方がが美しい」と思えるようになってほしい。
神崎川河川敷も生き物の多様性を考えて整備してほしい。
(館長)吹田にいい川はあるのか?
(高畠)吹田の川=山田川、糸田川などは川ではなく溝になってしまった。川には下りてはいけないことになっている。市内のため池も三面張り、単なる水溜りになっている。
「池の自然度」という考え方で池を見ることはほとんどない。私たちの調査では自然度の高い池には多くの生き物が生息していることがわかっている。阪大構内の池は自然度が高いが市内のほとんどの池の自然度は低い。
(橋本)40歳以下のものにとって三面張りの川や規則正しく植えられた木など“作られた自然”こそ私たちには美しい自然なのだ。
私たちは自然とは「きれいに整備された公園」を思うのだ。草刈りが徹底され、川には入れないように安全なことが大切だと思っている。
山にキャンプに行くのに半そで半ズボンで来る子どもがいる。虫がいない環境が自然だと思っている=伝わっていないのだ。
自然を復活させると同時に環境教育が大切だと思う。さらに環境文化というものが育っていない。要するに「自然」というものの感覚が世代間に大きな差ができている。
(美濃部)子どもに自然を教えることは難しいと実感している。「松」を知らない子どももいる時代になっている。お母さん方が知らないのだ。鎮守の杜ということばに至ってはとても子どもの知るところではない。
(塩田)私の子ども時代は山に行けば遊べた。現在の人は里山を知らない世代には里山のあり方がイメージできない。公園をキレイに保つことと生き物の棲める里山との関係がイメージできない人が増えてきて困っている。
(橋本)三面張りならまだよくて、川にフタして道路になっているようなところでは川を見ることなく生活している。虫と親しくなれるはずがない環境になっているのだ。
マッチで焚き火にできない大学生が8割いてるのが現実だ。キャンプブームであることはいいことだ。
(小田)私の子ども時代にテレビができた。今の40歳は生まれたときからテレビはカラーだった。今の子どもは携帯電話はあたりまえの社会に育つ。このように人類の生活で文化文明は着実に進歩している。
一方自然は過去ずっと変化することなく私たちの周囲に存在したのだが、1960年ころから急激に消えていった。その反省が顕著になった21世紀まで自然は減り続けてきた。この間に生まれた人々はその生まれた時期によって感じる自然が異なるのだろう。
減少した自然を戻すことで人と自然との関わりがある程度は戻るのではないだろうか。
そのきっかけが昨年08年に施行された生物多様性基本法であろう。この法律に基づき各自治体が動くだろう。
同時に吹田市はみどりの基本計画の見直し時期に来ているので、その中で都市の自然のあり方の指針を決め、実行することを待たねばなるまい。
(市長)それぞれの団体のみなさんはそれぞれの団体の課題をお持ちですね。みどりの量と質を向こう10年でどのように設定し近づいていくかなどをコーディネート、調整するのが行政であると考えている。そしてその行政を指導、先導してくださる方々がみなさんだと思っています。
(会場1)1)自然に関われない子どもが多くなっている。カエルやトンボなど身近な自然にさわれる子どもが増えてほしい。
2)学校でどうしても伐らねばならない木があったなら、伐ったあとの利用方法を学校で考えてほしい。今はごみとして燃やされているだけだ。
(高畠)子どもに責任はないのだが、多くの子どもは虫はきらいだ。中には野草にさわることを嫌がる子どももいる。「土がついてるから汚い」という理由で。
「自然のものは汚い」という考えが広まっているように思う。自然観察会では自然にさわり、自然(=生き物)と仲よくなることを目指している。
(会場2)10年前に千里丘にキツネがいることを新聞で見た。そこを開発した後は不自然な自然が残っている。あのキツネはどこに行ったのだろう。
(会場3)これから吹田市ではみどりの基本計画を策定するが、ないものねだりではなく、あるものを育てていくことが必要と思う。街路樹の剪定も考え直してはいかがか?
私は都会育ちなので40歳で観察会に参加してはじめて虫にさわり、50歳ではじめて田んぼに入った。この経験から、今の子どもの親も観察会に来てもらってほしい。
(会場4)イズミヤ前の街路樹・ユリノキは今年電信棒状態に剪定された。いつになったらユリノキの花を見ることができるのだろう?
ケヤキも剪定され放題でケヤキの樹形を子どもに教えることがむつかしい。
親子で自然に対する感覚が異なることが多いので親子で観察会という機会を増やしたい。
(小田)私は神崎川近くに住んでいる。中の島公園から神崎川河川敷を散歩する。
太田府知事の時代にはそうではなかったが、橋下知事になってから河川敷でキリギリスが鳴きだした。これは府の予算がなくなって草刈りの間隔が延びたためだと思われる。
しかし隣接する中の島公園ではクマゼミの声はするがキリギリスは鳴かない。徹底的な草刈りが頻回におこなわれるためだ。草が生えれば虫が来て、それを求めて鳥が来るようになるだろう。
みどりの基本計画では公園整備のあり方、基本的考えにも踏み込んで、その実行を地域の市民がおこなうという姿になってほしい。現在は地域の人が徹底的な草刈りをしてくださっているのだが、草刈りはいかにあるべきかをみどりの基本計画で決めてほしい。
(館長)来る動物が害虫だったらどうする?
農薬は行政は(ごく一部を除いて)使わないが、ホームセンターでは売ってる。この問題も出てくる。
(会場5)ガーデニングで外来種が人気がある。これが自然界に広がってるが、今後どうなっていくのだろう?
(平)市内で見える野草の6~7割は外来種になっている。野草を調べる時、「帰化植物図鑑」で調べた方が早い。牧野富太郎の書いた図鑑にない種類がずっと多くなっているのが現状だ。鳥でも外来種が見られるようになった。
(塩田)昆虫ではカブトムシで見られるようになってきた。従来日本にいた昆虫の種類が駆逐される恐れがある。温暖化で生息域が北に延びてきていることも問題になっている。
(高畠)先日ピアノ池で魚の調査をしたがブラックバスとブルーギルばかりだった。
昨日の講演会の話では環境が昔どおりなら在来種は元気で、外来種が増えることはないとのこと。
しかし琵琶湖では湖岸を改修してしまって従来と大いに環境が違ってしまった。そのような場所では外来種が生息している。しかし昔の環境の残っている場所では在来の魚が残っているとのことだった。
吹田でも同じことが言えるだろう。茨木市で多くなっているアライグマが千里ニュータウンに来ている。
外来種は持ち込まれているのだが、生育できる環境を人間が作っているとも思われる。昔ながらの自然環境なら外来種は繁殖しないだろう。セアカゴケグモは吹田で毎年出ている。ほぼ一般化したと考えられる。
植物は60%以上が外来種になった。外国産の大きなきれいな花を愛でる風習がこの事態をもたらした遠因かもしれない。田んぼの畦にさく小さな花を美しいと思う感性を育てたい。
(会場5)吹田には浜屋敷、中西邸など大邸宅が寄付され保存活用されている。
市内の大邸宅には多くのみどりがあり、田畑を所有している家も多い。
これらの家は相続問題で小分けにされたり、田畑が売られたりしてみどりが減っていってる。
田畑などを寄付できる制度ができたらいいなと思う。
(市長)都市の自然を考える切り口のほぼすべてが出た。参考になった。
吹田には里山、緑地、池、河川、神社の杜などまだみどりの資源が残っている。皆さんの活動は芸術ともいえる活動で、感動している。今後は子どもさんを巻き込んでやっていくことを考えていただきたい。
みんなで支えるまちづくりの考えで今後も一緒にやっていきたい。幼稚園では野菜を栽培しているところが多い。捨てたものじゃない。
小学校区ごとに地域管理型農園を作って野菜栽培や田植えから収穫までを小学生が体験できるようにしたいと思っている。
小中学校に冷房をつけてほしいという要望が多い。みどりのカーテンなどでしのぐことを進めてる。太陽光発電で冷房はどうかという意見もある。
トータルな結集体としてアジェンダ21すいたがあるが、ここに集まった団体がトータルな結集体だと感じた。
(館長)自然の問題は難しい。優秀な市長の決断が間違っているのかもしれない、みなの知恵を集め議論を続け熟成させていくことが必要だと思う。今回のような機会が存続するためにその役割を担うのが博物館だと思う。
(あーしんど・・・おーぼら)
コメント
自然は、残しておきたいですね
今は身近な自然(植栽?)も単純になり、生きものが少なくなりました。
せめて身の回りに植栽を考える時には何を植えたらどんな虫が来て、どんな鳥がその虫を食べるだろうかと考えてみませんか?
そして、虫を単に人間の活動に害を及ぼすからといって害虫と呼び、殺虫剤で駆除してしまうのでなく、どのくらいの数なら共生できるか考えて、その中で数の制御をどうするか考えませんか?
家庭なら人海戦術とか、人手が届かないなら他の生き物に影響しない薬剤の使用とか、殺虫剤でなく、忌避剤とか…
費用も、人でも時間もかかる話ですが、それがロハスでは?再生可能な開発ではないが、再生可能な生活なのでは?
言っている私にとっても上記のコトは難しいけど少しでも努力しようとすることが次世代への義務のように思えます。