ニュータウン巡りという「珍行」にハマってしまったokkun、都市開発と博覧会のセットモデルを忠実にやった神戸のポートアイランドは行っとかなきゃな、というわけで、ひさしぶりに行ってきました!ポートピア’81。1981年3月20日から9月15日まで。期間もなんだかEXPO’70に似ているぞ。入場者1610万人。「番外」ってつけてるのは、ポートピアは神戸市がやった「地方博」で、国際博覧会条約(BIE条約)によって行われる「万国博」には入らないからですが、1610万人っていう数字は日本でその後続々と行われた地方博の中ではトップの入場者数です。(日本で行われた正式な「万国博」は1970年の大阪万博、1975年の沖縄海洋博、1985年のつくば科学博、1990年の大阪花博、2005年の愛・地球博の5つです。)
写真上左はポートピア当時。ペルーから来ていた留学生のお姉さんと家族と一緒に行きました。右が現在。会場跡地は静かなオフィスエリアになっていました。神戸らしくファッションや真珠の企業が目につきます。静かなのは日曜に行ったから?…にしても活気がないような…震災の打撃は15年たった今も尾を引いているのでしょうか。緑は大きく育ち、ランドマークのポートピアホテルは変わらぬ優雅な楕円の姿を見せています。
会場の北側は団地(これはポートピア開催当時からそうでした)。三宮とこの人工島を直結する日本初の新交通システム「ポートライナー」も健在です。ユーミンはポートピアが終わった後で発表したアルバム「昨晩お会いしましょう」の中の「タワー・サイド・メモリー」でこのポートライナーのことを「最終モノレールが東の空を流れ」と歌っていますが、これは線路2本あるからモノレールじゃないのよ。団地も築30年に届き高齢化がひたひたと進んでいます。
今でも人工都市らしさを感じさせるのは、島にかかる神戸大橋かなあ。最近は自然景観への「なじみ」をおもんぱかって橋の色も薄いグリーンなんかが多いようですが、この橋はずっと赤。それ以外考えられないですね。
橋のたもとには北野町から移築した異人館があります。神戸は戦後長らく、接収で復興が遅れた横浜港をおさえて日本一の貨物扱高を誇り、コンテナ取扱量はなんと世界1位を誇っていましたが、震災の打撃や大型船対応の遅れ、アジアへの物流シフトなどで40位にまで後退してしまっています。
でもやっぱり海と港あってこその神戸、がんばってほしいなあ!
(by okkun)
コメント
嗚呼、、、なつかしのポートピア’81。閉幕寸前の日曜日に入場し、すごい人のためにまったくパビリオンに入れず、会場内をちょっぴり歩いただけで出てきました。(記憶では、今日みたいに)とても暑い日でした。