館長ノート 6

自然環境へのインパクト
千里ニュータウンがはじまる前後の話を聞くと、竹やぶや雑木林におおわれ、ウサギ、タヌキ、キツネそれにマムシ(測量班は血清を用意したという)まででいた、まるで原生林だったような印象受けます。
しかし、国土地理院の地図を見ると、谷を止めて溜池、その水を引いて水田、高台には畑、集落の周りには竹やぶと雑木林をつくるといった、人の手がじつに細かく入った景観が浮かび上がってきます。

歴史的にみると、古代から中世まで、須恵器や瓦のカマがたくさん残っていることから、(やきものを継続的につくるためには、たくさんの燃料材を必要としました)コナラやカシを中心とした二次林ができあがり、計画的に運用されていた可能性が強い。
また、現状から見ると、紫金山のヤマツツジの潅木林は、近年まで、さらに激しい生活材(肥料、薪、炭)の収奪がおこなわれたことを考えさせます。
これは、瀬戸内海地方にみられる特徴的な里山の景観でしたが、戦後の経済発展にともない里山は大きく変わります。その大きな理由の一つは燃料革命(植物に代わって石油やガスを使い始め)で、その結果、里山に人が干渉しなくなり、明るく開けた二次林から暗く閉ざされた照葉樹林の原植生にかわるのです(佐藤洋一郎2005 『里と森の危機』など参照)。
このような変化が明らかになるのは、全国的には1965年頃といわれますが、都市近郊にある千里付近では一足先にはじまったようです、マムシにおびえるといった状態は、本来の里山が荒れはじめていることを示しているようです。

そんな場所がブルドーザーでならされ、コンクリート造りの巨大な建物が建ちならび、たくさんの人が集住するのですから、環境が激変することは容易に想像がつきます。しかし、千里ニュータウンは緑の豊かな場所であることも確かな現実です。ここで子供時代をすごした人が「私の原風景は、ウサギ追いしかの山、コブナ釣りしかの川ではなく、地肌剥き出しの更地、ひょろひょろの木、コンクリートの建物や側溝。今は樹木が茂ってきて別の場所にいるようです」といったのが印象に残っています。その意味では千里ニュータウンでは新しい自然が生まれているといえるでしょう。

今回の展示では「環境」をぜひ取り上げたいとおもいます。
方法の一つとして:
1)象徴的に、チョウチョをとりあげて展示し、NT以前以後の差をみる(きれいだし)。蝶は植生に敏感に反応します、たとえば国蝶のオオムラサキはもう見かけませんが、箕面の山にはまだいるので、昔は、ここにもいたのではないでしょうか。テングチョウ、シジミチョウ、ヒョウモンチョウ、アゲハなどはどうでしょうか。もちろんホタルや甲虫も考えられます。

2)植物ではワタンポポがセイヨウタンポポに苦戦しています。ほかにも、セイタカアワダチソウ、ヨウシュヤマゴボウなどの帰化植物の跋扈。街路樹、庭木、鉢植えなどにも外来種が持ち込まれているはずです。これに対しススキ、クズなどの日本種の健闘ぶりも目立ちます。これらを、プランターに植え、博物館の庭において、そこを、紫金山探検や自然ウォークの基点とする。ほかに、鳥や獣の剥製も考えられますが、これらは写真でというのはどうでしょう。

●ぜひ意見をお聞かせください、そして立案実行の手をあげてください。

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