携帯電話の充電を忘れただけで一日不安になってしまうようなこの頃ですが、「小さい頃、家には固定電話もなかった」なんて話をしたら、若い人に「え、え、えー!」と驚かれたことがあります。でも、どの家庭にも電話が普及したのは昭和40年前後で、昭和30年代には「家に電話がない」のはむしろ普通のことだったんじゃないでしょうか。昭和39年、私がNTに越してきた当初は家に電話はありませんでしたし、その前に住んでいた家にもありませんでした。
NTに来る前の話ですが、うどんの出前を取るにも母がサンダルでその店まで行き、帰ってきてしばらく待ってるとうどんが届く…というようなことがありました。どうしても急ぎの用の時だけ、近所に一軒しかない電話のあるお宅にお邪魔して使わせていただく…といったことも普通だったと思います。そんな具合でしたから電報の重要性は今よりはるかに高かったと思います。
さてNTに越してきて、我が家でも早々に電話の設置を申し込みましたが…当時は電話の大量普及期だったからか、NTだからなのか、申し込んでも開設まで半年以上待たされるのは普通でした。その頃の北地区では買物は古江台センターまで行かないと何もなかったし、バスも古江台しか回っていなかった。(電車は新千里山止まり。)自家用車なんてもちろんない。それで電話もなかったのですから、連絡手段は何もなく、まさに「荒野の一軒家」状態でした。(ホントに、よく暮らしてたもんだと思います。)
そんなある日、家の前の電柱に電電公社の人が上って工事をしていたので、父が「電話の工事ですか?」と聞いたら「これは小学校の分です」と言われたこともありました。学校・診療所など公共機関だけ設置を優先したようで、今でもこれらの所は若い番号が振られていると思います。
それから40年近くたって、また家の前の電柱にNTTの人が上りに来たので父が声を掛けたら光ファイバーの工事だった。それで電話線を初めて敷きに来た日のことを思い出しました。
(by okkun)
コメント
その後、いっせいに電話がついたので、電話番号が、我が家が×××2、隣の家は×××1、反対の隣の家は×××3、という具合になってしまった・・・はずです。
「せんりっこ」さんへ。なーるほど…。個人情報保護も何もあったものではないですね。大らかな時代でした。お隣と必ず連番になっていたわけではないと思いますが、そういうケースもあったでしょうし、同じ町内で近い番号が固まっていたという現象は、たしかにあったと思います。