縄文時代のタケ

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三内丸山の委員会に出席したら、かうるさいというか最先端の先生方がいて縄文の竹についていろいろ情報をいただきました。

驚いたのは、縄文時代には竹が意外に使われていなかったこと。

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たくさんの編み物が出土した6~7000年前の佐賀県東名遺跡での素材はタケかと思ったらムクロジとイヌビワだったそうです。

また、タケじゃないというので、ササに違いないと思っていた是川遺跡の籃胎漆器はトチノキだった。考古学に科学が参加したことで、常識がひっくり返る結果が続々出てきます。

縄文時代にタケ、ササが定着するのは中期以降だそうです。

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三内丸山遺跡は縄文前期に集落の基礎が置かれたようですが、そこでは東北・北海道に広がるバケツのような形の円筒式土器がでてきます。土器には竹管文と呼ばれる模様がつけられていますが、これが表れるのが前期の末、5400年前頃でしょうか。ササの幹のような細いタケを半分に切ったCの字のようなものです。しかし、はっきりしたものが、よく表れるのが中期4500年前頃になってからだそうです。

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三内丸山の倉庫には土器がいっぱい復元されておいてあります。
調査員のOさんに案内してもらってそんな説明をしていただきました。

(カンチョー)

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