年末、焼酎の湯割りをぐびぐびやりながら、「年忘れにっぽんの歌」を聞いている。
いや見ている。仕事はそっちのけである。もちろん9時からは格闘技があるから、その前座というわけだ。なぜか?
来年の吹田市立博物館「千里ニュータウン展」が進行中だからである。
「年忘れにっぽんの歌」を聞き、私の60年代ってなんだったろうと考えてみたかった。
伊東ゆかり・園まり・中尾ミエの3人娘などが出てきてしまうと、ますます考える。千里ニュータウンができて動きだしたころ、つまり私の青春時代に巷に流れていた歌である。
私は大学生。ブリジット・バルドーと話したくて、フランス語に夢中だったが、アルバイトにも夢中だった。バイト先は「渡辺プロダクション」という、当時の芸能界を仕切っていた会社だった。
私が担当させられたのは「ザ・ピーナッツ」という双子のデュオ。日出代・月子姉妹。
「しゃぼん玉ホリデー」などで人気を博していたが、私は荷物持ちから後援会の会報作りまでいろんなことをやらさせた。いわゆる「ぼうや」と呼ばれるアルバイトだったが、スマイリー小原さんやクレージーキャッツのハナ肇さん、植木等さん、桜井千里さんたちにかわいがってもらった。
「明石ちゃん、なんか食って帰れよ」ともらった小遣いは、当時の新人サラリーマンの給料の3倍はあったと思う。だから遊んだ。いやぁ若かったから。そんな時、渡辺プロの副社長だったやり手の美佐さんが、六本木にたむろする若者を集めて「野獣会」なるものを作った。いわゆる「六本木族」である。もちろんヒルズなど影も形もない、どちらかいうと、銀座で飲んだ社用族が、銀座ホステスを連れて流れ出す明け方族の町だった。
「明石ちゃん」も同級生の遊び人・楢橋隆と「野獣会」に入りましたね。当時彼の親父は運輸大臣かなんかで羽振り良かったんだけど、「造船疑獄」とかでつかまってしまいましたね。また野獣会で、私が秘かに心をよせていた女がいたんだけど、岐阜県知事をしていた彼女の親父も、業者から裏金をもらったのがバレてお縄になってしまった。「野獣会」なんて名前がそれっぽいのかなぁ。
でも3年ぐらい続いたんですよ。明石くんも懲りずにジェリー藤尾なんかとつきあってたなぁ。尾藤イサオなんかもすみっこのほうにいたなぁ。まぁそんな空気の中にはまってましたね。
そんなこんなの若き日々でしたが、私の妹が渡辺美佐さんの弟・マナセ敏雄(マナセプロダクション副社長)と結婚したことで、坂本九やら森山加代子ともつながってしまったのかなぁ。
「大学を出たら渡辺プロに来いよ」という誘いを退け、正しい道を歩こうと歩み始めた男・明石でしたが、紆余曲折ここに至っておる次第です。その後のイベント人生の中で「明石は電話一本でそんなタレントをよく呼べるな」と言われるのも、60年代の若き経験とつながりがあったからだと還暦を越えてからしみじみ思うのであります。
千里ニュータウンがオープンして華やかなりしころ、東京のど真ん中でこんなふしだらな生き方をしていた人間もいたということを、恥ずかしながら書いてみました。
沢田研二と結婚して別れた「ザ・ピーナツ」の日出ちゃんとは未だにつきあいがあるのは幸せです。
あかちゃん
コメント
あれ? 全部読んだ つもりでいたが・・ ここ 読んでなかったぁ そうか そうなんだ・・ なんで そんなすごい人が こんな 追いはぎトンネルの 奥にある 秘密基地博物館に来るのか やっと判った気がします あと 金 土 日 の 三日 天気もいいようで♪ なんだか わかんないけど 全力でいきましょう♪ しかし 谷口さんの 報告ブログ 早く誰か アップしてよねぇ~ (怒)
この前、フジTVで2夜連続の「ザ・ヒットパレード」 観ました。あかちゃんさんは あの輝かしい時代を リアルタイムで 生きてきた方なんですね~☆ うわさには聞いてましたが 記事読ませていただいて へー!ほー!(@。@)それにしても「野獣会」ってね・・・(^^; 誰が命名したのかしら・・・?
この暮れに、40歳代でザ・ピーナッツを懐かしそうに語る男性にあいました。60年代の子どもにとって、ザ・ピーナッツはゴジラ映画の「小美人」で親しみ深い存在だったんだそうです。