館長ノート 17

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団地妻・真昼の・・・

団地妻ときくとむかしは頭がクラクラしたものだ。 日活ロマンポルノの名物シリーズで、今でもその名を冠した便乗、あるいは亜流作品が、星の数ほどつくられている。その甘美な響きや濃密な連想は、アパ-ト妻、長屋妻というのではとうてい無理だ。
団地はトイレ、シャワー(風呂じゃだめですね)、ダイニングテーブル(ちゃぶ台か?)、ベッドルーム(布団じゃいけないなー)をコンクリートで囲いこんでいる。夫や子どもは、会社や学校へ行っていない昼間、そんな密室の中で、けだるそうにもの思う美しき・・・(と、つい芝居がかってしまう)。
伝統的な日本の家屋は開放的で密室はなかった。しかも、大家族で住んでいたので、いゆも、まわりに誰かいた。まして若妻には鬼のような姑。団地というとヨコ文字がいっぱいでることからもわかるように、その普及によって、日本人の生活様式が西洋式へと大きくかわった、とつくづく感じる。でも、欧米のそれとくらべると、間仕切りは、障子や襖で密室とはほど遠い。それにもまして(日本人の特徴だといっていいと思うのだが)コンクリートの壁などものともしない、レントゲンのような隣人の目線がある。そんななかでの情事ですと? ロマンポルノが一世を風靡したのは七〇年代のはじめだから、それは、旧態依然とした寮や下宿に住んで、都会にあこがれていた山だしの学生の妄想だったのだと思う。
すでに述べたように(館長ノート13)千里ニュータウンからは、スポーツ新聞に書かれる、男性の猥雑な世界は見事に消しさられている。そんな健全な社会のなかで、今日の団地妻たちは、あっけらかんとスポーツジムやイタメシ屋で健全な生活を送っているようだ。歌人、栗木京子はそんな状況を鮮やかに描き出している。
「天敵を持たぬ妻たち昼下がりの茶房に語る舌乾くまで」

「性」は、日常生活にしっかり組み込まれており、決して無視できないものだ。文化人類学では重要な分野の一つであり、論客もおおい。今回の特別展で「団地妻」のビデオ上映会(ちなみに、シリーズ初代女優の白川和子さんは千里ニュータウンの住人だったと聞いた)を切り口にした講演会をと考えてはいるが、多勢に無勢、やはり無理かなとおもっている。

(季節のさし絵は原文と無関係です (お))

コメント

  1. 女の見方 より:

    団地妻?団地に住まう主婦の生活は、男性が外から見るのと大違い。3Kに6人が生活して手狭だったり、結構近所の口がうるさかったり。養育費に大変で、パートや仕事に忙しく、特にニュータウンでは買い物が不便で困ったようです。

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