変わる景観-千里ニュータウン1964、そして今

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「白亜の校舎 明るい声が はずむよ 千里の山こえて」(吹田市立高野台小学校校歌)

1963年夏、千里ニュータウンに引っ越してきた。4才だった。家の前の道路は、まだ舗装されておらず、街路樹もなく、庭の植栽もまだ十分ではなかった。木と竹で組んだ簡単な垣根だけが目立ち、黄土色の土ぼこりが舞っていた。空き地がたくさんあって、造成されたばかりの地面から、雑草の若葉が芽を吹いていた。そのころ勢力のあったのはセイタカアワダチソウで、途中で折ると穂先が枝分かれして増え、抜いても抜いても生えてくる頑健な草だった。

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次々に木が植え付けられていったが、そうそう立派な大樹が植えられることはなく、どれもこれもひょろひょろしていた。学校のサクラも細く、春になっても1本につきわずか数輪の花しか咲いていない。桜吹雪のなかを登校してみたいなあ、とずっとあこがれていた。運動場にフェンスはなく、スカッと視界が開けていた。街の主役は建築物で、校歌に歌われるように、やたら多かった子どもの声が反響していた。

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人のこころに原風景が刻み込まれるのは、何歳ぐらいなのだろうか。今、木々は育ち、緑豊かなすばらしい環境になった。街が森に埋もれているかのごとくである。夢だった桜吹雪の街路は、千里の春の風物詩になって、毎年目を楽しませてくれる。それなのにわたしのふるさと・ニュータウンではないような気がしてならない。
モダンな建物のそばにひょろひょろの街路樹、むきだしの黄土色の土層と嫌われもののセイタカアワダチソウの優占するあき地-悲しいかな、これを見ると言いようのないなつかしさがこみ上げてきて、困ってしまうのである。

コメント

  1. 投稿者 より:

    ケンザンさん、たしかにありましたよ~、時計台兼避雷針。時間が合っていたためしがなくて、時計としてはゼンゼン頼りにしてませんでしたけどね。

  2. ユカトン より:

    初期のニュータウンでよく見かけた植物に「葛」も入れてください。それから、昨年、我が家では、かみ池から採ってきたザリガニを飼っていましたよ。

  3. カンチョー より:

    今の小学校の写真中央にある、ひときわ高い木はメタセコイヤですね。大きくなったメタセコイヤはハシブトガラスの格好のねぐらなんだ、と、昨夜、野鳥観察家の平さんが怒っておりました。あれは確か中国原産でしたね。200万年前にはここにもあったか。

  4. okkun より:

    クズもいっぱいありましたねえ。家が建ってない一戸建ての空き区画など、たちまちクズのジャングルになっていたことを思い出しました。今は空き区画も(犯罪防止の観点から?)ジャングルにならないよう、シートを張ってしまったりするようで、なんだか味気ないことではあります。

  5. ケンザン より:

    「♪あ~、高野台 われら~が学び舎」 佐竹台の集会所がとうとう解体され、オアシスと阪急社員寮もマンションに立て替わるという変貌激しい南千里の中にあって、高野台小学校は比較的往時の状態を保っていてくれて頼もしい限りです。 でも、西側の平屋の低学年向け校舎(昔はそうだった)はさすがにボロボロでそろそろヤバイ気がしますが。 マイナーな話題で申し訳ないのですが、たしか高小の校庭の東南角に時計塔がありましたよね? 学校の帰りに紐を引っ掛けて登ろうとしたところを先生に見つかってエライ怒られた記憶があります(笑)。 たしか運動会のスナップの後ろにチラッと写ってたような・・・ 今度実家のアルバムを探してみようっと。

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