「千里ニュータウン展」が開催中です。
この場所に入居が開始されたのは1962年。保守的な傾向のあった50年代が終わり、さまざまな文化や運動が活発になっていった時代です。そのころに世間でどういったマンガが読まれていたのかを、この地になじみのふかい1962年前後を中心にすこしながめてみましょう。
六つ子が主人公のギャグマンガ、なにかというと「シェー!」とポーズをとる出っ歯の男や、おでんをもって走りまわる子どもがでてくる――といえば「おそ松くん」。1962年から「少年サンデー」に掲載されたこのマンガは、最初は4回きりの予定でした。けれど読者の人気を博し、けっきょくは7年にわたって連載された赤塚不二夫の出世作となりました。作者はこの成功について、経済成長に必死になっていた日本人が、東京オリンピックの開催をまえにしてようやく一息つき、笑うよゆうをとりもどしたのではないかと語っています。
またこのころ人気のあったマンガ誌「少年」の目次(1962年4月号)をみると、手塚治虫、藤子不二雄、白土三平、横山光輝などの名前があります。タイトルにはロボットや宇宙を連想させるものが多く、前年に旧ソ連の宇宙船が地球一周飛行に成功したこともあり、科学技術への憧れと関心のたかさをうかがわせます。
60年代の後半になると、さまざまな種類のマンガが誌面をにぎわせました。タイトルをざっとながめただけでも、「サイボーグ009」、「カムイ伝」、「オバケのQ太郎」、「フジ三太郎」、「墓場の鬼太郎」、「巨人の星」、「意地悪ばあさん」、「ルパン三世」、「あしたのジョー」、「ゴルゴ13」、「アタックNO.1」、「ねじ式」、「ハレンチ学園」、「ファイヤー!」、「ガラスの城」など、ギャグから不条理まで内容は多岐にわたります。
マンガというジャンルが世の中に広まっていった時期に千里ニュータウンは誕生し、発展してきました。ここに挙げたタイトルや漫画家名をみて、なつかしく感じた人もいるのではないでしょうか。最近では古いマンガの復刻版も出版されています。むかし読んだことのあるマンガをまた手にしたら、当時の記憶がよみがえってくるかもしれません。
(by ゆみ)
【写真右端のジャンプ不十分の男性は当時「デカパン」と呼ばれていました。(おーちゃん)】
コメント
それは残念!シェーッは、当時の国民的ギャグだったから、子どもだけじゃなくて、おとなもやってたんですね。ゴジラだって映画の中で披露してるから、当然か。。。市民委員が、自分のアルバムから探し出したものを展示に加える予定です。おいでになったら、うちのシェーの方が上手だったよなーとか比べて、楽しんでってくださいね。