わたしと万博(7)…バンパク美術展

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かの有名な大阪万博に僅差で参加できなかった70年代生れにとって、バンパクといえば遊園地(なぜか我が家が遊びに行くと必ず雨が降った)と太陽の塔!なのです。そんな小学生だった元奈良県民(いまは他県に出稼ぎ中)には、あの塔の中身が展示室になっているとは全く予想外、最近まで知りませんでした。そして、そして、どうやら往時は「バンパク美術展」なるプロジェクトによって美術家たちにがんがん作品制作・発表の機会が与えられたらしいということも、某美術館で現代美術展を担当してはじめて知った新知見でありました。正確には万博美術館(パビリオン?)で「調和の発見」というテーマで41カ国630点を展示した展覧会と、「現代の飛躍」に124人(うち日本人36人)の作家を招聘しての現代美術展が開催されたということですが、どなたかお覚えありますか?

バンパク前夜の1950~60年代は日本の現代美術がたいへん元気!独自のムーブメントが生れ、たくさんの新しい試みが生れた、いわば日本美術の黄金時代でもありました。(関西では「具体」が有名ですよね。)当時のとんがったアーティストたちは政府?の莫大な予算を投じてのめったにない特需を歓迎しつつも、「質より量」的な発注をされる制作の現場にちょっと反発を感じたり‥複雑な感慨をもったようです。いずれにせよ、このバンパク美術展を契機に日本に美術界が根付いたということは、やっぱり「文化振興」って可能だし、有意義なのですよ。がんばれ、ハクブツカン!

(へぐり)

 

コメント

  1. フラーッと より:

    万博の時、確かピカソの「ゲルニカ」の展示があったと思います。後年、ニューヨーク近代美術館で再開した「ゲルニカ」は構図が少し変わっていて驚きました。(今はスペインに帰ったのかな?)今も万博美術館で見るジョージ・シーガルの彫刻には驚くばかりです。美術本で見ていた現代美術が目の前にあるのですから田舎ものの私はおったまげます。

  2. かんかん より:

    このあいだ、京都国立博物館でやって、大入りをとった御所の障壁画展。あたらしい時代をはじめるにあたって、画壇を活性化させるための政治的意図があったことを感じました。ビンボウだが、がんこで、口うるさい、京都の日本画家たちは、障壁画がファッションとなったので、注文がふえだいぶ金回りがよくなったのだろうと思いました。

  3. kf より:

    いえ、壊した方じゃなくて、もともとミロさんにつくってもらった展示って、その壁画だったのでは?

  4. okkun より:

    ガスパビリオンにホアン・ミロのオブジェか何かを展示したのですが、本人が設置状況を確認しに来たとき、向き合っている壁が真っ白ではバランスが悪いと、即興で壁に絵を描いてしまったことがありました。 問題になったのはパビリオンを解体するとき。建物の一部である壁をはがして保存するのは巨額の費用がかかるというので(そんなつもりで設計してないし…)、一緒に壊しちゃったんですよ。モッタイナー!高度成長期って、荒っぽい時代でもありましたね。

  5. てつ より:

    「へぐり」さん って あの 飛騨のへぐりさん?奈良の御出身だから へぐりさん?なんだぁ そうだったのかぁ(^。^)

  6. kf より:

    国立国際美術館(中之島に移っちゃったけど、ながらく民博のお隣さんでした)所蔵のホアン・ミロの陶板の壁画って、そのガスパビリオンにあったものですよねー?

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