大阪万博は私にとって極めて重要な意味をもっている。
学生時代に「まつり研究会」なるものを作り、北から順番に日本の主な祭を見て回ったほど。ただし祭の研究レポートより、同行した女子学生の生態研究の方に力が入り、雑然としたにぎわいの印象しか残っていないのは性分。
力道山が登場すると、リングアナが「メインエベント」と叫ぶぐらいで、まだ「イベント」という単語が一般化しておらず、就職してからの私の業務エリアは「催事担当」だった。
竹村健一がマクルーハンの「水平思考」で売り出し、ようやく「マーケティング」という言葉が新鮮な感覚で受け入れられた、そんな時代だった。
「まつり大好き」「催事担当」として、万博は刺激的だった。
1968年暮れ、坂本九が「世界の国からこんにちは」を紅白歌合戦で歌った。
その翌年私は、万博パビリオン建設の喧騒を横目に見ながら、「世界の国からこんにちは」の「TVタイトルデザイン募集」などという大それた企画を実施。TVもまだ草創期、NHK美術センターの友人も巻き込んで、全国公募をやった。九ちゃんには審査に加わってもらった。(写真。隣にいるのは誰?)
万博のシンボルマークを手がけた大高猛氏とのつきあい、コンパニオンとの秘話、万博会場で見ぃつけた長嶋茂雄さん、メキシコ館での約束・・・次々に思い出す。いずれご紹介できるかもしれないが、心痛む思い出もあるのだ。
(あかちゃん)
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…上記の写真が送られてきたので「意外や三の線ですね」とツッコンだところ、あわてて「二の線も添付します」と追加写真が送られてきました。う~ん、渋い!フィルム・ノワールだ…題して「ガボンの男」。
古いアルバムを引き出したら、こみあげるモノがたくさんあるそうです。青春ですなあ。
(編集by okkun)
コメント
万博が「罪な」イベントだったんですか・・・人生が狂っちゃった人、たくさんいらっしゃったのかしら。
わからん
よ~くわかりました。私の思い入れがつぶさに伝わって、うれし涙にくれるひととき。ついでにアルバムをひもといていたら、さらにさかのぼること8年、「ザ・ピーナッツ」とのワンショットが現れ、思い出に涙する私でございました。「これは誰?」という三の線になるので公開は控えましょう。しかし万博は罪なイベントだったのですなぁ。
あ~あ。やっぱりね。あかちゃんも万博の思い出を、書かされちゃいましたね。乗せ上手なカンチョーと、飲ませじょうずな○○さんに、よってついに陥落。いやいや歓楽。万博企画でおおいに楽しんでください。
『爆発だっ!!』 もう、芸術の域だわさ。 わかるのはナガシマさんとカンチョーだけカモ?
やんや、やんや。きょうちゃんの心を詠めること、見事かな。okkunさんも芸術の域なり。
万博で狂って、万博展でまた狂って…。二回狂ってマトモに戻るのか、さらにあらぬ方向へ行ってしまうのか…??吹田市民は大変だあ。
そーか、「世界の国からこんにちわ」は九ちゃんも歌ったのか。これまで、たくさんの歌手の名がでましたねー。それが三波春男におちついたのは、当時の日本の音楽レベルがしょうちょうされているようでおもしろい。シンポか一万人の大合唱、やる価値ありソー。
とにかくいろんな歌手が歌ってましたよ。三波豊和を吹田に連れてきて、語ってもらうということもアリ。口説く自信アリ。あと国内音楽ではやはりGSでした。これも何かやりたいですね。いろいろやりましょ。
いちまんにんの大合唱大会 3回したら 千里ニュータウン展 越えちゃうなぁ(^^ゞ