1994年、はじめて民博の研究室に足を踏み入れたとき、びっくりしたもの
その1.へそを出し裸足で歩き回っている教授・コヤマセンセイ
その2.『知的生産の技術』方式が実践できる環境
図書の検索はパソコンを使用。文具コーナーには「京大型カード」「オープンファイル」「200字詰め原稿用紙」が潤沢に用意され、ワープロやパソコン(まだDOS/V)が大量に備え付けられていました。当時、梅棹先生はすでに館長を退いておられましたが、梅棹システムはいたるところに生きていました。
梅棹資料室はこのシステムの総本山です。数メートルにわたる住所録カードのキャビネットやオープンファイルがおさめられた棚が整然と並んでいるだけでなく、目的の資料がいつもサッと取り出されるのです-この美しくもオソロシイ光景!わたしは今もって、この徹底した整理技術を身につけることができず、困ったときにかけこみ助けていただくばかり・・・ほんとうに頼りになる情報センターなのです。
この10年のパソコンの発達はめざましく、ほとんどの事務処理がコンピュータをつかっておこなわれるようになりました。連絡が電話・ファックスから電子メールに、写真もデジタル画像が主流になりました。紙の使用量は増え続けているのでファイル類はなくなりませんが、手書き原稿はほぼ絶滅、カードや原稿用紙の出番は少なくなり隅に追いやられています。
しかし、『知的生産の技術』が過去のものになったわけではないのです。いや、むしろ、その思想はますます重要になってきているといえるでしょう。たとえば;
「1データ1項目」「分類せずに配列せよ」→デジタルデータを活用するための基本
「必ずコピーをとれ」→原稿にかぎらずバックアップをとっておくのは鉄則
1969年に発行され、「知的生産」という斬新な造語と画期的な内容でベストセラーになりましたが、以来版を重ね、今でも現役バリバリ、バイブルと呼ぶにふさわしい本だと思います。
07EXPO70では、梅棹忠夫氏の知的生産活動につかわれた”道具”を、梅棹資料室からお借りして展示します。
(こぼら)
コメント
岩波新書の『知的生産の技術』は2冊を購入した。 1冊は発行と同時、もう1冊は3年後あたり。
コヤマ センセイがカンチョーと書くワケはコノアタリニ アリソウ。
岩波新書と岩波文庫は、「ツンドク」でかなりの冊数がワケアリで、別の所の段ボール箱で寝ています・・07EXPO70でWake Upさせようかな?。
ミンパクは吹田市にあるのですから、梅棹資料室をサテライトにすれば人がいっぱい来るでしょうね。