双子の未来都市=「千里ニュータウン」と「万博」を彩ったモノたち

「未来」には2通りの未来がある。「手が届く未来」と、「手が届かないほどの未来」。いま大量普及できるレベルでの…それは背伸びをすれば誰もが享受できる現実的な「未来」と、思いきり最先端の…普及できるかどうかはわからないけれど、とにかく行けるところまで行く、というレベルの「未来」だ。

吹田市には、この2つの「未来都市」があった。前者が千里ニュータウン、後者が万博会場である。そして吹田市立博物館では、この2つの未来都市を、2006年の「千里ニュータウン展」2007年の「07EXPO70-わたしと万博」で順にフォーカスした。

偶然だが、この2つの特別展示では、それぞれ2つの目玉展示が、対称的に位置づけられることになった。…「お風呂」と「クルマ」である。2つの展示会に出たこの日本的なモチーフを比較すると、手が届く未来手が届かないほどの未来1960年代の未来1970年の未来が、ステレオになって見えてくる。

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●ほくさんバスオール=1960年代、千里ニュータウンの「お風呂」(NT展)
映画「三丁目の夕日」に出てくる1950年代まで、内風呂がないことは庶民にとってはむしろ当然だった。だからあちこちに銭湯があった。未来都市として建設された千里ニュータウンでも、府営住宅には内風呂がなかった。公営住宅はそうしないと政府の補助金が出ない仕組みだった。ニュータウンは実験的未来都市であると同時に、コストを抑えて住宅の「量」を供給する目的だったから、風呂なしと決まっていた府営住宅を大量に建設した。設計者の片寄先生によれば、「湯冷めしないのは300m」という目安を決めて、銭湯があった近隣センターの一番近くに府営住宅を配置したという。(なるほど、たしかに今もそうなっている。)ところが高度成長期のサラリーマンは帰宅時間がだんだん遅くなったのだろうか。千里は大阪からも遠かった。「銭湯の開いている時間に帰宅できない」ということが起きるようになり、「どうしても内風呂が欲しい!」ということが時代の強い要求になった。内風呂は「豊かな暮らし」の象徴になり、逆に言うと内風呂がない家はいつの間にか貧しさのイメージがつきまとうことになったのだった。そこが1950年代と決定的に違うところだ。

「三丁目の夕日」の舞台設定の1958年からわずか5年後、1963年に後付けユニットバス「バスオール」は発売された。全国商品だったがとくに千里ニュータウンで大ヒットした。当時は珍しかった割賦販売も「手が届く」感を後押しした。登場した背景はこのように「豊かになりつつあったけれどまだなりきっていない時代」だったが、素材のFRPは当時の最新プラスチックだった。初代機のフォルムは宇宙ロケットやカプセルを思わせる。それは当時は驚天動地の新しさだった。バスオールがきわめて「1960年代的」なのは、「未来志向」と「貧しさからの脱出」と「大衆性」が全部一つに凝縮されているからだろう。1960年代は、皆がそういう時代だった。

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●ウルトラソニックバス(人間洗濯機)=1970年、万博会場の「お風呂」(展示終了)
バスオール発明?からわずか7年後、万博会場で大人気になったのがウルトラソニックバス(人間洗濯機)だ。素材はバスオールと同じFRPだが、こちらはもっと「手が届かぬ遠い未来」を表現していた。60年代から70年代に入り、そこまで強烈な先進性を見せないと、人々は「未来」を感じなくなったのだろうか。ウルトラソニックバスは月賦で買うのもではなく、パビリオンにうやうやしく展示されて外国人モデルがショー的に入って見せるものだった。わずか3台だけ製作された実験機だった。1970年の万博会場では、すでにそこまで人々の「未来」への目は肥えていた。「三丁目の夕日」の1958年~バスオールが発売された1963年~ウルトラソニックバスが人気を博した1970年。まさに時代はホップ!ステップ!ジャンプ!で猛烈に前進していた。「三丁目の夕日」から万博まで、わずか12年しかないのである。

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●ダイハツミゼット=1960年代、千里ニュータウンの「クルマ」(NT展)
お風呂と同様の関係が、2台のクルマにも見て取れる。実はミゼットは、1950年代後半から1970年代前半まで15年間も製造されたロングセラーであり、特定の時代に強くは紐付けられない。千里ニュータウンで特にヒットしたわけでもない。しかしこのクルマを見ると、(当時生まれていた人は)誰もが高度成長期を思い出す。ミゼットは商用車であり、サラリーマンの「マイカー」ではなかった。しかし誰もがマイカーを手にする直前の、でも大衆的なクルマ社会が始まろうとしていた、その間隙の時代の匂いがぷんぷんとするのだ。乗用車でなく商用車であっても、「たくさん売れた」ということが、何より1960年代的なのだ。

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●スズキキャリイ(電気自動車)=1970年、万博会場の「クルマ」(展示中!)
ミゼットが終売に向かっていた1970年、万博会場内では電気自動車が走っていた。このスズキキャリイは業務用に使われたものだ。フォルムは格段に未来的とはいえないけれど、2007年の今でも一般普及はハイブリッドカーまでであることを思うと、限られた会場内とは言え、それはかなりの実験的存在だったことがわかる。

バスオールやミゼットは「手が届く未来」だったのがウケたのだが、ウルトラソニックバスや電気自動車は「手が届かないほどの未来」だったのが人々を魅了した。それが1960年代の精神と、1970年の精神の決定的な違いだと思う。

そして2007年。ウルトラソニックバスの技術が実用化されているのが介護浴槽だと聞く時、あの時見た未来の行く先ってこれだったのかと、感慨を覚えないわけにいかない。電気自動車につらなるハイブリッドカーは、地球温暖化抑制への解答として存在している。1960年代「手が届く未来」から1970年「手が届かないほどの未来」へ。そして2007年の未来は「問題を解決できるリアルな未来」になったのだろう。吹田市には、この3つめの未来はあるのだろうか?

(by okkun)

 

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