◆木村裕委員 それでは、博物館の小山館長に出席をしていただいておりますので、博物館についてちょっとお伺いしたいと思います。
実は、この前、文教市民委員会所管分のときに、博物館の現状については、副館長やあるいは出席しておられる参事の学芸員に詳しくお伺いしました。ある程度、大体の様子は分かったんですけれども、実は今の小山館長が2004年に吹田市立博物館の館長になられた以降、例えば2005年には、はきもの展、2006年、去年ですね、去年は千里ニュータウン展、今年も万博展を開催されておりまして、小山館長が就任なさってから博物館の様子が随分変わってきたということで、実際に私も市民委員として一緒に雑用係をやらせていただいているわけなんですけども、小山館長はこの前もNHKの教育テレビ、青森県の三内丸山の海外向けの番組なんですね。それで司会者も英語で、解説に当たられておられる小山館長も英語で話しておられまして、縄文の詳しい解説がなされておりました。あと館長はオーストラリアの民族学を専門に学んでおられまして、吹田市の博物館、簡単に言うと一般会計が約1,020億円のうち、わずか文化財保護も入れて2億8,000万ぐらいのお金でやっているような博物館を、本当に今後どうしていくねんということを、何とかお話をしていただければというふうに思っております。
実は、この前もちょっとお話しましたけども、今の博物館の様子を、この前開かれました万博展の式典のときのあいさつのときに、小山館長が次のようにおっしゃっておられます。博物館の使命の一つは文化財を守ることです。有機質の文化財は光とかカビ、人の力による破損などが怖いのです。そのためには、人が来ないことが一番いいということになります。現在この二律背反の命題に全国の博物館が苦しんでいます。正しくそのとおりで、本当にこれから博物館、例えばアメリカではスミソニアン博物館がありまして、これは美術館も含めて20近い博物館群となってますけども、あと、例えばこの近くでは池田市にラーメン博物館とか、あるいは名古屋にはトヨタ系の自動車の博物館があると、いろんな博物館があるんですけども、吹田では考古関係の博物館ということでスタートをしているわけなんですけども、本当にこれから博物館をどうしたらええねんと。どういうふうな博物館にしたらええねんということを、せっかく小山館長にお越し頂いておりますので、個人的な見解でも結構ですので、是非お願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
◎小山修三博物館長 木村委員を始め、先生方にはいつも厳しい言葉を浴びせられておりますが、私が吹田市立博物館の館長の小山でございます。議会に呼ばれるなどということは余りございませんので、うちの副館長なんかは大丈夫かなと言うんですが、今日はちょっと自由に話をさせていただきたいと思います。
吹田市立博物館の館長というのは、どういう条件で働いているかといいますと、契約書を見ますと週2回、月8回ですね、来ていただきたいということで、それから人事とか金については、ほとんど関係しないという感じでございます。それで私、非常に驚いたことがあるんですが、2004年6月1日に初めて就職したというか館長になったんですが、そのときちょうど博物館の運営協議会があって、そのときに、館長、今日は一言も言わないでくださいと。今年の計画はもう全部決まってますからと言われて、へえっと思ったんです。それが一つ。
それから、二、三週間して、胸のプレートを替えたことがあったんですが、館長、あなたはパートタイマーで、このプレートはお渡しできませんと言われて、ああその程度のレベルで働いているのかと。私はそこでもうふっ切れたんです。あとは館長というプライドと、それから私の学問的良識を通していくというふうに思いました。最近では、ちまたというか、陰でよく言われているらしいんですけれど、そんなことを言うたら、また館長は暴れるぞというように、人々の駆け引きとか人間関係とかを考えないで、正義を押し通すというのは非常にやりやすいもんだと思っております。もっとも、今日は私、立派な格好をしてますけど、こんな格好を木村委員もあんまり見ないでしょう。本当はこういう格好をして、日を決めて、行って、座って、来る書類に判こを押してほしいというふうに思ったんでしょうね。だけど、私はそうはならなかった。
実は、私が就職したときに、博物館というのは市民に開かれた博物館であるべきだということを、博物館だよりに文章を書きました。実は、これほどうまくいくとは思ってなかったんです。順調に観客が伸び、学芸員も一生懸命協力しというような、市民が集まってくるという状況になるとは思わなかったんです。自信がなかったんですね。あったら、あそこでFA宣言して、出来高払いというのにしてもらえば、もっとよかったのかなと思ったりもしております。
この博物館の成功というのは、やっぱり市民が積極的に参加されたことにあります。私がそういう就任のあいさつを書きましたところ、いろいろな方が集まって、ちょっと館長、来てくれと。聞きたいことがあるんだと。何をしようとしてるのかというようなことがありまして、これはもういろんなことを言われました。何でこんな博物館はへんぴなところにあるんだと。そんなことを言うても困るんです、私が就職したときにもうそこにあったんですからとか、いろいろ苦しい言い訳をしたんですけれども。いや、とかにく、市民の意思を反映した博物館にしていただきたい。ああ、そうですかということで、意見を聞きながらやりました。そうすると盛り上げる会という自主的な団体ができて、月に1回来て、館長をつるし上げるのを楽しみにしているような会でしたけれども、それは非常に博物館の運営に参考になりました。
ある出来事というか、特別展の担当者がちょっと病気で倒れたんですが、そのときにどうしていいか分からなくなって、私が口を出し始め、はきもの展というのをやろうということになったんです。それで市民に呼び掛けて、展示の手伝いに来てくれとか、そういうようなことを申しました。その次の千里ニュータウン展というのも、そういう中から市民委員が、市民に対して委員会の委員を募集して、それで意見を聞きながらやってはどうかという意見が出てきました。それが千里ニュータウン展でございました。これは、実に2万を超えるような、過去の成績を見ますと2年分ぐらいになりますんで、私はあと1年お休み頂きたいと言って、皮肉を言ったぐらいなんですが、大成功でした。それから市民が企画、運営する展覧会というのは実は全国でどこもやったことがないんです。非常に市民というのは危ないというか、コントロールしにくいもんですが、私はそのとき吹田の市民のレベルの高さというのに、ほとほと感心いたしました。これほどうまくいくとは思わなかった。今年は、柳の下にドジョウはいるかというような感じだったんですけれども、万博展というのも、大体そのときにやった熱気が残ってまして、やはり市民委員会でやろうと。こうやると観客数が増えるからといって、今やりつつあります。
そういうことで、私たちのやることにも学問的な、専門分野でも注目が集まっておりますし、市民の間でも、博物館というのは煙たいところではなくて、やろうと思えば四つ竹踊りでも踊れるというような、おもしろいところなんだというふうな感じで、皆さんもよくいらっしゃっるようになりました。
今、木村委員がおっしゃったように、博物館というのが全国的に非常に苦しんでおります。それは日本の博物館というのが、東京国立博物館、あれは帝室博物館、帝室の宝を持ってきて見せるという形に結局おさまっていったんですが、宝物を扱うということで、博物館として見せてやると、触るなと、大事なもんだからと。確かにそれも理があるんですが。それがどんな地方に、どういうレベルの博物館になっても、それは同じ博物館で、石を置いてあっても、何を置いてあっても、触るなというようなことを言うわけですね。これはひとえに学芸員というのが、そういう一つの専門家のパターンに入って、ここに飾るものは文化財なんだと、触らしちゃいけないんだと。もっとひどいことを言うと、市民がというか、見に来た人が持っていくかもわからないというようなことを言いました。それが日本の全国に広まって、ここ10年ほど、そういう形の、見せてやると。博物館は偉いこと、難しいこと、君らには分からないことをやってんだというような態度をとってきた博物館が、物すごく苦難に陥ってきたわけです。というのは人が行かなくなってきたというのがあります。
それから、国の方もそういうのを切り捨てるためにどうすればいいのか。大博物館は独立行政法人化、大学もそうですけど独立法人というような感じにして、国の予算と切り離すというのが一つございました。もう一つは指定管理者制度。これは非常に響きがいいんですけれども、余りうまくいってないんですね。ただ、市民に任せろと、NPOに任せろというような、そういうところもある。うまくいってるところもあるし、駄目なところもあるというのがありました。私は方々外国に行ったりするんですけど、世界的な傾向で、見せてやるというような、いばったような立場から参加型になってくる、体験型になってくる。それからボランティアが非常に活躍していると。ボランティアもいい気持ちで働けば、それは市民の楽しみの場ですから、そういうふうに大きく変わってきているわけです。
今、がたぴしやりながら、吹田の博物館は、数字で御覧になるとおり順調に運んでいると思います。ただ、今私が非常に恐れているし、将来変えていかなきゃならないと思っていることが幾つかあります。その一つは、やっぱり学芸員がもっと勉強できるような時間を与えてもらいたいと。また、学芸員に勉強をしてもらいたいと。言い方にもよるんですが。自分で専門化した、私は例えばアボリジニーの専門ですと、私は神道の神社の専門ですとかって、そういうふうにほかに興味がないようなことを言うんじゃなくて、いろんなことで問題が起こってくるというようなときに、複眼というか広い目でもって、そういう情報を総合してやるような、そういう博物館を。私は究極的には学芸員というのは、専門家じゃなくてコーディネーターになるべきだと思っておりますが、全国の博物館の動きも含めて、勉強してもらいたいと思っております。
もう一つは吹田全体にも言えるような気がするんですけれども、非常に公的なところで、広報が拙劣なんですね。これは民博とかそういうのでもそうですけれども、独立行政法人になって少し変わり始めましたけど、やっぱり役所というのは文句を言われずに、このシステムをずっと押し通していくというのが一番簡単だと思っているようで、なるべく知らせないと。例えば、こういう展示がありますと、「わたしと万博展」がございますと、何日から何日でございますと。あとちょっと付けとけば、それで十分なんですよね。広報の役目を果たしているわけで。ところが、その中には一杯いろんなことが起こっているんで、それをどういうふうに知らせていくか。そうやって人々の興味を発掘していくことが大事なんじゃないかと思ってて、これは何とかやらなきゃならないと思っております。
今、ホームページというのがございますが、ホームページと、それからさっき言った市民委員が勝手に立てたブログがあるんです。これ一銭も市から公的なお金は入ってません。みんなで一生懸命出し合って、知恵と金、金はあんまり出てないけど、やってるわけですが、それの差を、是非機会があれば御覧になっていただきたいと思うんです。市民が勝手にやってるんでコントロールできませんから、まあいろんなことを言って。ただ、今、1日に1,000を超える日が出てきている。これは、ブログで全国ランキングというのがあるんですが、この間は6位まで上がっているんです。というふうな、非常に活発な広報が行われております。これはどうにかいかしていただきたいと思っております。
それから、非常に頭が痛いのは予算なんですよ。私は、この財政逼迫の折から、予算を増やせとはあんまり言いたくない。言ってもどうせ出さないでしょうから。予算を増やせというんじゃなくて、例えば1年分の計画がこれですというような提示があったときに、それをこちらでこうしたいというふうなものを勘案して、今のところ、広告費幾ら、それから展示費幾ら、運搬費幾らというふうに、もうパイにして分けてるんです。いろいろ文句を言うと、いや、そういうふうにパイに分かれているから、会計がイエスって言わないんだと、そういうふうに金を動かしてイエスと言わないんだと。だから、もうこれはあきらめなしゃあないというようなことをおっしゃるわけですよ、特に事務系の方は。
私が民博にいたころは、国だと15%ぐらいのずれは許すと。吹田市よりは国の方が少しフレキシブルなところがあるんです。これをやっていただければ、特に市民委員なんかが入るときに、非常に思わぬところに金が要る。例えば、講師の予算がないんですね。ところが、今言ったように参加型、体験型になると、飾ってあるものを見るよりも、これについて講義をしてくれる人とかという人の方が、実は観客が見たがるし、その講演を通して、博物館がより深く分かるというようなことになると思うんです。この工夫の仕方、長年やってきたシステムというので動かしたくないかもわかりませんが、もっとフレキシブルになっていただければ、博物館の運営というのも楽になると思います。吹田の博物館は、展示とかそういう金に関しては、ほかの地方博物館とそう劣っていると思いません。工夫が足りないと思うだけです。いや、できたらもっと増やしてもらいたいんですけど、そういうことです。
そういうふうに市民の意見を聞きながら、これからどういう博物館にしていくかということですが、やっぱり大きな問題が幾つもございます。社会福祉とか弱者とか、障害者とかに対してどう当たるのか。目の見えない人が博物館に行きましたと。何がありましたかと言ったら、つるっとした平たい、冷たいものがずっとありましたねと。ガラス戸だけですよね。そういうのはやっぱり触らせなきゃならない。これは既にもう2回やって、大変好評というか、学芸員も張り切ってやっております。それから、この間、ちょっと聞いたんですが、この弱者に対するというか、そういう問題と、今から非常に大きくなってくるのは地球環境の問題だと思います。地球温暖化。みんなで北極に行こうとかそういうんじゃなくて、吹田の周りを見回して、里山がどうなっているかとか、田んぼは残すのがいいのかとか、ホタルがどうなのかとか。そういうものも、ホタルを展示しろとは言いませんけれども、そういうものも含めた問題提起のできる展示というか、展覧会ができるような博物館になればいいと思います。ただ、今までそういうことは博物館の中に書かれてなかったので大変なんですが、そういう問題も一生懸命やっていきたいと思っています。私の主張は、博物館というのは、やっぱり吹田なら吹田という、吹田という場所があって、文化の輝くまちなどということを、輝くまちというふうに皆さんプライドを持って言っておりますが、やっぱり博物館というのは、吹田というまちの知的なオリエンテーションセンターというか、ここに行けば吹田のことが分かるんだと、文化の精髄が分かるんだというような場所になってもらいたいと思っています。
だから、私たちがやりたいのは、文化をどうやって掘り起こしていくか。それから、問題が出たときに、問題にどうやって立ち向かうのか。だから、予算のことなんかもそうですけれども、守勢に立つんじゃなくて、もう冒険するというような方向に動かしていただければ、その骨董品学におぼれることなく、現代の私たちの本当に大事な問題というのに、立ち向かっていけると思っております。長くなりましたが、これで終わらせてもらいます。
◆木村裕委員 ありがとうございました。
例えば、旭川に旭山動物園がありますね。それで、今までにない見せ方で非常に話題になって、話題が話題を呼んで人を呼ぶということで、今でしたら本当に、そんなにお金も掛けないような広報で、全国からたくさんいらっしゃるということで、やはり今、館長がおっしゃっておられるように見せ方に、やっぱり工夫が必要じゃないかと私も思っています。
それで、やっぱり今後の博物館については、吹田の本当に知的レベルがこんなんやねんというようなことを、やっぱり博物館で知らしめていく。遠くから来た人も、吹田はどんなとこやねんというときに、博物館に行けば分かりますよというようなことを、やっぱり今後の博物館というのは目指していかないかんのじゃないかなというふうに、私もそう思うんです。その辺、事務方はどうなんですか。今のところ、本当に先ほども言いましたように、文化財保護費も含めて2億8,000万で今何とかやってますけども。博物館の条例の中で今やってますけども、条例も変えて、そういう形でやっていかなあかんと、私は個人的に思っているんですが、その辺、博物館について、今、館長は皆さんが聞かれたようにおっしゃっておられるんですけども、事務方の方は、今の博物館を今後どういうふうに、事務方として支えていかないかんのかという辺りを、ちょっと一遍お聞かせ頂ければと思いますけども。
◎中川文夫社会教育部長 先ほど、館長からもいろいろお話を聞かせていただきました。今まで館長からもいろんな形で御指導あるいは御意見を承っておりますけれども、こういった形でまとまった形で聞かせていただきまして、また非常に私自身も勉強になったところでございます。
先ほどフレキシブルというふうなことを館長もおっしゃいましたけれども、私たちは博物館条例におきまして、硬い話になりますけれども、考古、歴史、民俗、美術工芸等に関する資料を収集すると、そういった条例がございます。そういうようなところで、私たち自身も、先ほど館長もおっしゃいましたように、いろんな分野において、今後我々博物館も取り上げていく。終局的には言葉で言うのは簡単ですが、大変な作業ではあると思いますけれども、ここに行けば吹田が分かる、そういったところのいろんな分野を、博物館として努力をしていきたい。そういったことを考えながら業務を進めていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
◆木村裕委員 できるだけ本当にそういうふうにお願いしたいと思います。あんまり僕は聞かないんですけれども、今日は市長も出席しておられますので、市長は市長なりに吹田の文化レベルというものを、何とかこれ以上に引き上げようということで、いろんな施策を打ち出して頑張っておられるというのは十分承知しています。それで、やはり先ほど博物館の館長がおっしゃっておられるように、吹田の文化の度合いを、やはり博物館で人に知らしめる、展示する、あるいは博物館に行けば吹田の文化が分かるというようなふうにすべきではないかというふうにおっしゃっておられるんですけども、市長はどうでしょうか。博物館について、吹田市立博物館は、こういうふうにした方がええん違うかなというような話があれば、ちょっとお聞かせ頂ければと思うんですけども。
◎阪口善雄市長 今、小山館長先生の総合的な観点での博物館に関するお考えを聞かせていただきました。館長に来ていただいてから3年たとうとしておりますが、随分博物館は変わったなということで、私も大変期待どおりのといいますか、期待を上回るようなスピードで改革をしていただいておりますことにつきまして、心から感謝を申し上げたいと思っております。小山先生のパーソナリティーといいますか、人格そのものが、今の博物館の改革に現れておるというふうに私は考えておりまして、小山先生の個性でもって今は改革が行われていると。ずっとおっていただきたいんですけれども、やはり後に続く者がどれだけ先生のお考えを体現できるのかということまで、私は今心配をしているところでございますけれども。
私は常々、市民の参加・参画、協働型の市政を進めておる中で、市民協働といいますか、協働から協創でございますけども、正しく今の博物館の事業の進め方というのは協創でございます。行政と市民と専門家の皆さん方による協働から協創ということが、もう本当に先駆的に行われておるような感じがいたしておりまして、千里ニュータウン展に次いで、今度は万博展、その万博展も幅広さがございまして、今日も朝日新聞に載っておりましたけれども、江坂のレストランの看板、それを万博展で責任を持って置こうと。開催期間中展示しようというようなことで、そういうところまで視野が広がっているという、大変すばらしい事業展開が行われております。
本当は参加・参画型の博物館でございますが、今までは本当にひっそりとした博物館でございました。そこに喫茶ですね、コーヒー、紅茶の喫茶を設けていただいたり、楽しみが、新しい楽しみが、また増えております。これも市民参加の運営でございます。親しみやすい、行ってみたいというような思いが募るような、1回行ったらリピーターが生じるような。今までは1回行ったら終わりでございました。2回目来た人は、ほとんどないんじゃないかというぐらいの博物館でございましたけれども、リピーターが増えそうな、そういう思いが募る博物館でございます。
やはり、市民の協働、協創の時代。協働、協育、協創の時代。これはやはり地方分権の時代であれば、そういう市民協働とともに地域学ですね、吹田学。吹田の個性を踏まえたまちづくりをしていかなければならない。北海道から沖縄まで全部一緒のまちづくりじゃなくて、独自のまちづくりをしていこうと思いましたら、やはりそのまちの歴史性や、地学やら地理やら自然史やら、そういったものをやはり踏まえながら、市民がそのような、本当に今、生涯学習熱がほとばしるような、生涯学習熱があるとすれば、そういったものにこたえられるような博物館。そして、吹田のことが、地域のことが分かるような、そういった将来、教育委員会の方では生涯学習市民大学を考えてもらっておりますし、行政の方では、市長部局では、まちづくり吹田学塾を展開しております。また、いろんな自発的な学習グループ、また自発的な活動グループが出てきておりますけれども、そういったまちづくりに関心のある方々が、また学生さんが、生徒が、児童が博物館に気軽に参加して、立ち寄って、そして吹田のことがそこへ行けば、中川部長も言いましたけども、吹田のすべてが分かるような、そのような博物館、そんなものに是非ともしていただきたいなと思っておるところでございます。これから教育委員会ともども、一緒に、どうすればみんなが何度も何度も訪れて、勉強し、学習し、交流できる博物館になるのかということを、一緒に考えていきたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。
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平成19年10月 決算審査特別委員会(11月08日議事録)から
(おーぼら)
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