1939/40年ニューヨーク万博
第2回と第3回のニューヨーク万博は同じ場所で開催されています。ニューヨークのクイーンズ地区に位置するフラッシング・メドウズ・パークとよばれる場所で、現在は大リーグ・ニューヨークメッツのホームグラウンドやテニスのUSオープンが行われるスタジアムを含む大きな公園となっています(写真上)。
そのほかにも運動場、スケートリンクをはじめ、科学館(New York Hall of Science)や美術館(Queens Museum of Art)、動物園(Queens Wildlife Center)などが敷地内にあり、当時のパビリオンを利用しているものもあります。
公園入口にはこれら2回の万博を記念した石板が設置されています(写真中、下)。
第2回ニューヨーク万博はジョージ・ワシントンの大統領就任150周年を記念して催されました。「明日の世界の建設と平和」をテーマとして1939年4月30日から10月31日、および1940年5月11日から10月27日までと2期のべ1年にわたって開催されました。しかしながら、会期中の1939年9月にドイツのポーランド侵攻に端を発して第二次世界大戦が開戦となり、テーマに掲げられた「平和」という言葉とはそぐわない、きな臭い世界情勢下での開催となってしまいました。
とはいうものの、世界60カ国から様々なパビリオンが出展され、およそ4,500万人の来場者を数えました。現在ではそれなしの生活が考えられないナイロンやプラスチックが未来を拓く先端技術として展示され、また、テレビが初めて紹介されたのもこの万博でした。会場内の数々の未来的な建造物やデザインは後のディズニーランドの設計に大きな影響を与えたといわれています。
数ある展示の中で最も人気を誇ったのがGeneral Motors (GM)による、20年後の世界を3,300㎡という規模で具体化したFuturamaであり、その中で展示されたオートメーション化された高速道路システムは、後に国中を高速道路でつなぐスーパーハイウェイネットワークという形で具現化されました。
また、この万博において初めてタイムカプセルという言葉が提唱され、実行に移されました。この世界最初のタイムカプセルは、文明が崩壊しているかもしれない5,000年後の西暦6939年に開封されることを想定し、アインシュタインの原稿からキューピー人形までが納められました。
余談ですが、この万博にあわせて第1回「World Science Fiction Convention」(後のNycon 1)が開催されました。ご存知のように70年の大阪万博では日本SF界の重鎮・小松左京氏が大きな役割を果たしており、こうしてみると、SFにおいてフィクションとして語られたものがサイエンスによって現実化されていく様子には感慨深いものがあります(70年万博の際にも国際SFシンポジウムが開かれました)。
この万博はのべ4,500万人という来場者を数えましたが、今回も残念ながら赤字となったそうです。
この万博の様子はこちらで詳しく見ることができます。
(石毛たける)
コメント
文字数オーバーで削られました。
今年は皆さん個々の方々に、吹田に、日本に、世界中の人たちに、良いことがありますよう。そして、地球上のすべての生物に良いことがありますよう。
おっと、スイハクにうんと良いことがありますよう。
団塊の婆 ]ところで、最近気になっているのが「戦略」という言葉。もっといい言葉がないのでしょうか。
第2回目のNY万博は1939~40、時まさに太平洋戦争開戦前夜ですね。これほどの国に、実力もかえりみず、よう戦争を仕掛けたものとおどろきます。今のように、たくさんの日本人が万博見物に出かけていたら、あんなことも起こらなかったろうに。このレポートのような過去の万博展の実見記をもっと読みたいともいます。
「大きな公園」をクリックすると最初に出てくる網目で作った地球儀。遊具の「回転ジャングル」(ジャングルジムが球形になっていて回転するもので、指の事故があって以来各公園から撤去されたりしている)のようにも見えます。
吹博の広場に「地球儀回転ジャングル」が置けたらいいナー。世界を見渡して遊ぶ子は雄大な夢を持てるように育つよ。
フラッシング・メドウズと万博公園の現状比較をやればおもしろいでしょうね。そして、愛地球博が名古屋に将来どういう位置を占めるかにも興味がわきます。
存亡の危機に立つ経営戦略なき博物館を憂慮せる義勇兵(volunteer)たちの初夢合戦。闘いなくして改革なし。