国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館

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国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館に行った。初代総長の湯浅氏の日本民芸コレクションとキャンパス出土の旧石器、縄文遺跡の資料を中心としており、年に三回特別展をやっている。専任の学芸員は2人、一日1人の非常勤や学生アルバイトという、こじんまりした建物に見合った組織である。学芸員は大学での博物館学講座も担当している。

平素は学生が出入りするぐらいで、静かなものだが、ちょうど特別展『幕末・明治の浮世絵』を開催中で、数日前にAおよびY新聞に記事が出たため、朝から電話の問い合わせが殺到、観客もぞくぞく詰めかけ、館員はきりきり舞の状態だった。浮世絵研究が北斎広重から脱して、幕末・明治に注目しはじめたこと、西洋化の始まったこの時代を研究している日本史の教授がいて(図書館や個人所蔵の)資料が充実していることの他に、NHKの大河ドラマで今、天璋院や和宮が話題になっていることが特別展を成功させている。2/23の公開講座では奈倉哲三氏の『錦絵が語る幕末・維新描かれた天璋院・和宮・天皇・輪王寺宮』が用意されている。「大変ですね」というと、「でも人が来ない博物館ではというプレッシャーもあるので」と答えるのだが、なかなかのセンスだと思う。

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博物館の本来の目的の一つ「研究」を守るのは大学博物館だと私は考えている。資料の由緒・経歴を調べ、それがなぜ重要なのかという価値を明らかにする。そのための専門家を育てるために、資料に直接触れ、ときには分解や破砕も辞さないという局面があり、それをへて始めて、保存や一般への開放につながるからだ。

理想的な大学博物館として今も記憶にあざやかなのは1970年代のはじめに行ったカリフォルニア大学(バークレー)の考古学室である。壁に沿ってガラス戸、中央スペースに斜めガラスの陳列台という定番の配置。ヨーロッパ旧石器時代の石器がならべてあった。「人類最初の本格的な石器、アシューリアンの握り槌はインドまで分布していて」とガラス戸をひきあけて手にとり、よく観察しろと言う。鍵はかかってない。そして、中米の土器を形式別に分類した引き出しの列、台に無造作に置いてある円盤状の骨がいっぱい入った麻袋(背骨のどの部分かをみわけるための資料)、展示と実習が一体になっているのである。もちろんこれは観客が学生や研究者に限られているからできることで、10年前に行ったときは、普通の博物館になっていて、メキシコ考古学特別展をやっており、「予算を取る必要があるから」と言いわけしていた。

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現代は、博物館が社会装置として確立したので、基礎となっていた局面は当然の事実となり、一般への開放という最終的な局面が最重視されるようになってしまった。つまり、時代の要求が大学博物館を変質させたわけだが、大学は研究と教育のためにあるという条件をふまえて、博物館の本質をしっかりと守ってもらいたいと思う。

(カンチョー)

写真上:国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館外観
写真中:展示場風景
写真下:「幼童遊び 子をとろことろ」三代歌川広重、1868
列の後ろの子を鬼が捕まえる遊びを描いて、薩摩、長州と徳川、会津の天皇を巡る争いを風刺している。後方にたつ娘が和宮とされる。
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HPはこちらです。これはたぶんプロですね。非常にかっちり作ってあります。☆☆☆半かな。英語が全く同内容であるのはさすがカンチョーの母校ICU。(英語のページはあっても簡略版であることが多い。)大学のHP整備は企業よりは遅れましたが、今はどこもちゃんとしています。この少子化の時代、若い頭脳を集めるにはHPぐらいちゃんとしとかないとですね…。

(okkunつけたし)

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