タケは草か木か、ササなら草と言ってもあまり文句はないだろうが、丈高くのびるマダケやモウソウチクは木だという意見が多い。私は心情的にいうのだが、草のような気がする。実生ではなく根を伸ばし、地面を覆うようにすごい勢いでみるまに繁殖していくからだ。マダケ属は亜熱帯から温帯の植物で、寒さに弱く、北海道には分布しないし、本州でも標高の高い地帯にはほとんど見かけない。
岐阜から高山線に乗り、飛騨に向かうとその性質がよくわかる。温暖な美濃では川沿いに獰猛なまでの竹の繁茂がみられる。しかし、飛騨に入ると勢いはうせ、背が低くなり、風のあたらない、日だまりのような場所にしか見られなくなる。そして、脊梁山脈をこえると姿が消える(それでも時にちいさな竹藪があるのは地球温暖化のせいだろうか)。
明治初期に書かれた『斐太後風土記』の久々野村の「ショウケ」とある産物はザルである。しかし、この村には竹はあってもごく貧弱。岐阜ミュージアムひだのY.I.さんの調べによると、製法は富山県の人から習ったとつたえられたもの、素材のほとんどは境をこえて下流の村まで採りにいってたそうだ。それでも、丈夫な竹製品は北部の高山の町などで、よく売れたらしい。植物分布の境界線にある地の営みの様子がわかる、興味深い例といえよう。
(カンチョー)
写真は、美濃と飛騨のあいだにある飛水峡(ひすいきょう)。
コメント
すいはく」-今年の夏休みの展示 -「竹」をテーマに http://www.doblog.com/weblog/myblog/60028/2623662#2623662-
カンチョー、 「龍笛」・「篳篥」・「笙」・「アンクルン」の演奏も入れてください。
高山育ちの私は竹よりもササのイメージがやはり強く、身近な所には竹はなかったように思います。以前、ショウケ保存会の方から、ショウケの材料となる竹は下呂にある白草山(しらくさやま)のふもとまで取りに来られるという話を聞きました。現在、周りに竹のある地域で生活していますが、簡単な杭の代わりに、マメなどのツルを巻かせる支柱に、と有効利用しています。