インターネット博物館(吹田アーカイブ展注目の一品 その4) :頼山陽の書

新型インフ騒動で、すいはくも25日までの閉館に追い込まれ、博物館愛好者の方々は「髀肉の嘆」をかこっていることでしょう。そういうときはインターネット、どんな強烈な疫病でも感染のおそれはありません。このブログでは「注目の一品」の紹介をすでに始めていますが、今回ご紹介するのは頼山陽の書。
頼山陽は歌の作詞家としても有名でした 「ベンセーシュクシュク、夜、川をーわたる」の詩吟を耳にしたことのある方は多いのはないでしょうか。100年以上前の流行歌ですぞ。
画像頼山陽の書 (中西家蔵)
頼山陽(1780~1832)は江戸時代の文人、歴史、文学、美術に優れた作品を残しています。大阪の土佐堀で生まれ、広島でそだち、晩年は京都に住んでみ京都文壇の大御所でした。
陽明学にもとずく明快な思想は大塩平八郎をはじめ大きな影響を与えています。死後出版された『日本外史』は物語的にわかりやすく日本史を説いたもので、伊藤博文など、尊皇攘夷の志士に読まれたといわれるようにベストセラーになりました。
当時の文人たちは各地を盛んに旅行していますが、それを受け入れたのは裕福な商人や庄屋名主で、そのお礼(というわけでもないでしょうが)に書や絵を残していったのです。岸部の大庄屋、中西家はその典型的な例と言えるでしょう。
この書はまだ寒さ厳しい早春の山田村の風景を詠んだ漢詩です。蘇東坡の書体を学んだという山陽の字が見事です。

(カンチョー)

 

コメント

  1. きょうちゃん より:

    頼山陽 イメージ ポン。
    雲か山か呉か越か 

    一度、書いたかな?
    戦後のH内閣首相の秘書 M先生から学んだ・・そして、「トンフル」で中止なく、無事「修学旅行」で、現地のあたり。

    5/13は、旧中西家。

    どうして、こんなに「頼山陽」は・・・。

    言葉魂がかな?。

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