今回の展示の中心となるのは、摂津の国が出来る直前、古墳時代のこと、それが吹田の景観の基礎を作った時代だからです(ワニやゾウといった展示の目玉がないので困っているのですが)。摂津の国は、淀川の西から神戸市あたりまで、ちょうど阪神タイガースの地盤と一致します。
縄文海進によって形成された古河内湾は、海が引き始めたために淡水化し、その後、淀川の活発な土砂堆積によってひろい湿地にかわっていきました。これを、うまく排水すればよい水田になる、そこで大陸からのあたらしい文化要素が活用されました。
第一は、鉄器。鋭い刃で大木を切り倒し、用材をつくり、効果的な農具や加工道具がつくれる。第二はウシ、ウマ。その力は人の何倍もになります。また、米生産によって人口が著しく増加しました、なかでも、技術を持った移民が大きな役割を果たしたようです。
このような知恵と力が結集されて、大土木工事がおこなわれるようになりました。それは、世界三大古墳とされる仁徳天皇陵に象徴されるのですが、堤や壕など、実用性な工事に注目すべきでしょう。なかでも、日本書紀にある「難波の堀江」は現在の大阪平野になる湿地を排水して、生産性の高い広大な農地に変えたのです。また、今日の上町台地の麓に、難波の津(港)がつくられ、国際貿易の要の地となりました。そのため、一時は都がおかれるほどの重要な地となったのです。
人の力によって景観をつくるというあたらしい段階はこの時代に始まったといえるでしょう。
4/21日にはじまる春の特別展「吹田の景観を堀おこすⅡ」の姿がようやく見え始めました。その内容は、これまでこのブログに紹介してきましたが、吹田市報には講演やシンポジウムの計画が出ましたし、「博物館だより」には、吹田地学会の人たちとのインタビュー記事もふくめた全容が紹介されています。
(カンチョー)
上:修羅 イラスト 安芸早穂子
下:今城塚古墳 高槻市教育委員会編『継体天皇と今城塚古墳』 吉川弘文館 1997年より
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