館長ノート 22

画像

「ニュータウンの増殖:千里NTにおける人口動態の謎」

このノートを書きながら、ずっと心にひっかかっていた問題があった。千里NTの人口は、入居が始まって以来、右肩上がりにぐんぐん伸びていたが、1975年をピークに、減少しはじめる、しかも、ピーク時の人口は当初の15万という予想を下回って12.9万人でとまったことである。ところが、わたし自身、1976年、民博に勤務しはじめてからずっとNTのまわりにいたのだが、この町はまぶしいくらいに輝き活気に満ちていたという実感がある。
いったいどうなっているのだろう。「都市住宅学会の大会資料2001」にある木多道宏さんの報告をみて、疑問が氷解した。おなじみの千里NT図は中央にぽっかり穴が開いている。それは、計画除外地、上新田地区である。
1971年の上新田の地図をみると、勝尾寺街道とその周辺の小道に民家が建ち並び、神社、寺、小学校があり、それを囲んで竹林や農地など空間がたっぷりという昔ながらの集落であったことが読みとれる。人口は1562人(401世帯)。ところが、2000年になると、集落のすがたは基本的に同じだが、かつての空間には高層集合住宅が林立という状態になっている。人口は16、823人(6182世帯)、じつに10倍以上になっているのである。しかも世帯数は15倍だから、この地区はニュータウン化したことがわかるのである。この状態は決して上新田地区に限られたものではなく、山田、佐井寺などのNT周辺地区にも共通してみられる現象である。ニュータウンはこうして増殖をつづけていたのだ。(図1、2))
狭すぎる家、電化製品をはじめとする技術革新、モーターライゼーションへの対応不足、役所主導の規制の多さや対応の遅さにいらだってさっさと周辺の民間マンションにでた人もいただろう。あるいは、1975年という区切りに目を向ければ、10年以上かけてようやくNTで醸成された、生活様式を是としてやってきた人も多いはずだ。
今の千里NTは、高齢化による人口構成の歪みや、建物の老朽化、あたらしいコミュニティーづくりなど多くの問題を抱えている。それにもまして、日本では、2006年を境として人口減少が始まったという大きな不安がある。千里NTは日本人の21世紀の生活をつくりあげる核となったことは確実である。その経験を未来に生かすためには、高い視点と志が必要とされているのではないだろうか。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました