世界の万博跡地を訪ねて(11)…つくば’85(科学万博)(1)

EXPO70から15年後、バブル直前の「日本が健全だった最後の年」に開かれたのが「つくば’85(科学万博)」です。「筑波研究学園都市」は一種のニュータウンで、ニュータウンと隣り合って万博が開かれた…という点で千里とはオトモダチ!ニュータウンオタクを名乗るokkun、23年ぶりにつくばまで行ってきました。

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●当時の会場入口に設置されているモニュメント「科学の門」。吊り下げられた鉄球が、ある角度からはニュートンの顔に、別の角度からはガリレオの顔に…いわば「立体だまし絵」。「知的」という言葉がはやった前向きな80年代らしい記念碑です。(実はあとからの設置らしい…)

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●みんな、僕のこと覚えてるかな?モリゾー…じゃないよ。右がマスコットの「コスモ星丸」。左が公式マーク。日本で開かれた大きな博覧会で、マスコットが制定された最初の例だったんじゃないかと思います。日本はいまや科学技術の国…というよりマンガ文化のほうが元気な感じがしますが、そのルーツはつくば’85に?okkunは当時仕事で、このコスモ星丸が入った広告作ってたから、ナツカシー!…僕も長いことこの仕事やってるなあ…

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●わが吹田の万博公園ほど大きくはありませんが、素晴らしく整備された「万博記念公園」が、このつくばにもあります。人工と自然の調和っていうのかしらん?スケールと言い、CGのようにキチッと植えられた並木と言い、ある種日本離れした景観です。ヒグラシがカナカナ鳴いていました。

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●こちらが当時の会場図。…ざっと目見当で、EXPO70の1/3ぐらいの面積かなあ…?入場者数も1/3ぐらい(2005年の愛・地球博とほぼ同じ)だったから、混雑度としては同じぐらいだったってこと?左中ほどの「ぼっちゃん湖」を囲む緑地の一角だけが、今「記念公園」として残されています。

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●こちら現在の案内図(右が北。90度左に回して当時の会場図と比較してね)。「記念公園」以外の跡地は当初からの予定どおり「筑波西部工業団地」としていろいろな企業が進出しています。…工業団地は言っても研究所が主で、た~っぷり緑が取られた中に埋もれるように広々と建物が点在しているので、跡地全体が広大な緑地である…という点では千里と匹敵する印象でした。

千里では「跡地=記念公園」ですが、つくばでは「跡地=記念公園+工業団地」というわけ。つくばの記念公園は入場無料で市の管理。跡地の一部とは言え広大な公園を管理するコストは大変だろう…と思いましたが、工業団地から上がる税金で採算を取っているのかもしれません。(いわば切り売り…ですね…最初からその計画だったらしいですが…)

千里では、「ニュータウンと万博」は「隣り合っていたが独立した2つの計画」でしたが、81年の神戸ポートピア、85年のつくば科学博、(中止したけど)96年の東京都市博などは、意識的にニュータウンと万博がセットで企画され、「町のお披露目に博覧会をやって初期投資を回収する」というモデルが試みられました。89年の横浜博と「みなとみらい」の関係もそうですね…。これらの例は、いずれも「千里にインスパイアされている」と言っていいのではないでしょうか?

千里の人はつくばを見るべし!つくばの人は一度千里にいらっしゃ~い!千里育ちにとって、たしかにこれは「遠くの親戚」を訪ねたようなフシギな旅でした。(つづく)

(by okkun)

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