「千里ニュータウンは世界遺産になれるか?」

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1ヵ月近く前のことになりますが、10/1(木)、関西大学で「千里ニュータウンは世界遺産になれるか?-文化的景観としての都市」というタイトルの研究発表会がありました。

うひゃー、これはまた広告屋も真っ青のハデなキャッチだなーと思いつつ、聴いてみたい気持ちは抑えることができず…なんとか都合をつけて行ってきました。「千里ニュータウンを世界遺産に…」ということは実は吹田市長も言っているし、太陽の塔を中心とした万博公園を世界遺産に…ということを提案しているグループもあります。

「文化的景観」とはたんに景色のことではなく、”Nature””Culture””Human”の要素からなること、法的には文化財保護法によって規定されていること、都市は変わらないと持続できず、ある種の「保護」とどうやって両立させるのか?「守るべき」ものは何なのか?都市構造なのか?街区構成なのか?建物なのか?ライフスタイルなのか?との問題提起が…。小浦久子先生からは「町割が残っているという点では船場もそうだが建物はあらかた入れ替わってしまっている。千里もそれと同じことになっていくのでは?」という指摘、橋寺知子先生からは、近代以降~戦後の都市で世界遺産になったブラジリアテルアビブのホワイト・シティル・アーヴルチャンディーガル(申請中)などの例の紹介も…。とうてい時間内で消化しきれるテーマではないのですが、興味深い「石を投げた」会ではあったと思います。

さて千里ニュータウンですが、実際にはあちらこちらで団地建替が進行し、町は大きく変わりつつあります。この意欲的なスローガンを大真面目に考えてみたら、どうなのでしょう?(ここからは僕が勝手に考えたこと)…「世界遺産」というからには、たんに景色が美しいとか住環境がいいというだけでは不十分で、なんらかの普遍性がある「文明的意義」とリンクしていなくてはなりません。

僕はやはり、戦後の奇跡的な高度経済成長を支えた数多くの勤労者とその家族に質の高い生活基盤を提供し、「一億総中流社会」を完成の域に高め、安定した社会を演出した…という点にモニュメント的な意義を求めたいと思います。日本は敗戦後わずか10年あまりでこのプロジェクトに着手し、一部の富裕層だけが経済成長の恩恵を受けるのではなく、誰もがマジメに働けば安心して暮らせる社会の基盤を作ったのです。こっぱみじんになった石積みに番号をつけ、空襲前と同じ町並みを復元したヨーロッパの執念もすごいですが、戦前の社会とはまったくことなった「理想像」を具現化したのも、すごいことじゃないですか?それは「千里モデル」と言ってもいいぐらい、普遍性があることじゃないかと思います。

千里ニュータウンでは「ソーシャル・ミックス」の考え方から(また保革が拮抗していた当時の政治的バランスから)、どのような収入層の人であっても健康的で文化的な生活が営めるよう、当初の住宅は簡素にして予算を抑えつつ、公空間は思いきり豊富に取られました。公空間の中に私空間が浮かんでいるような空間構成は多くの人に満足感と一体感を与えたのではないでしょうか。「最初のニュータウン」だけに少々こなれていない点はあったとしても、公空間は有機的にネットワーク化され、町全体が一つの庭を共有しているかのような感覚が実現されています。

つまり、建替に際しても、壊しちゃいけないのは「公空間とそれに対する開放性」なのです。千里ニュータウンは戸建と団地をブロック化し、団地につけた「ABCD」という棟号が所得層を明示してしまう…というある種露骨な部分がありながら、誰もが「お住まいは?」と聞かれると「吹田」や「豊中」ではなく「千里です」と答えるぐらい愛着の高い「ブランド」になった。それは「公空間の豊かなつながり」にこそ支えられているので、犯罪率が今でもきわめて低いことは「千里共同体」の感覚が生きている証拠でしょう。

それは戦後復興やマス的な経済成長の、「理想の頂点」を世界に示している…と言ったら言い過ぎ?アメリカに見られる一部富裕層だけの「ゲーテッド・コミュニティ」や、経済格差をひろげながら進行するアジアなどの都市化に対抗できる「日本モデル」と言ってもいいのではないでしょうか?

…気宇壮大になっちまった…

(by okkun)

コメント

  1. okkun より:

    自己レス。日本建築学会が選んだ近代建築の傑作DOCOMOMO100選ってのがあるのですが、この中で唯一、単体の建築じゃなくて「町まるごと」で入っているのが千里ニュータウンなんです。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8BDOCOMOMO100%E9%81%B8
    その後35個追加されて「135選」になったようですが、やっぱり町まるごとで入ってるのは千里ニュータウンだけです。

  2. こぼら より:

    okkunさんがアラウンド藤白台の方でとりあげていらっしゃいますが、千里ニュータウンが少しずつ改装されていくにつれて、当初の動線やデザインのコンセプトが崩れていくことに、私自身も納得できないものを感じています。
    千里ニュータウンが「町まるごと」選ばれるということは、町並み保存?が必要ということですよね。外観はそのまま、あるいは同じようなデザインで立て直して、建築内部だけ現代の生活に合わせるとか、少なくともマスタープランだけは崩さないようにするとか、、、、できないのでしょうか?

  3. okkun より:

    最大の問題は経済原理が最優先になってしまって、高層化→土地(余剰床)の切り売りが進んでいることでしょう。賃貸区画では府の財政に寄与するため、分譲区画では建替費用を出すため…「公空間」を重視して作った町が、コマギレの「私空間」に取り込まれつつあるのです。「千里には住みたい人がもっといる」ことが大前提になっているので大量の新規供給企画が進められていますが、そううまくいくのかどうか?建物は外観だけ保存すればいいってものじゃないだろうし、建設当時のまま全く変えるなといった主張は後ろ向きでしかないと思いますが(いや、文化財ってそういうものなのか?)、同じマンションのチラシがいつまでも入ってるのを見ると、今の大量建替計画は見通しが甘いんじゃないかと危惧します。

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