日高敏隆『なぜ飼い犬に手をかまれるのかー動物たちの言い分』PHPサイエンスワールド新書 820円
12月14日(月)、地球研に行ったら、研究所内の情報用テレビに日高先生が設立に力を尽くし、初代の所長をつとめた地球環境研究所に対する思いと所員にやってもらいたいことを綴ったメッセージがつぎつぎと流されていた。そうだ、先生が亡くなって、今日がちょうど1ヶ月だ。所員たちの深い思いが伝わってきた。
ちょうど、この本を読み終えたところだった。日高さんのエッセイは『春の数え方』、『チョウはなぜ飛ぶか』、『ネコはどうしてわがままか』などの親しみやすい表題からわかるように、子どもの真摯な問いかけに、やさしい言葉で正面から応えるという形をとっていると思う。「常識」の刃を反転させ、鋭く本質を切り裂いてみせる名人の技をみているようだ。
本書の前半部は、タヌキ、イノシシ、ヘビ、カラス、チョウ、ヒメボタル、セミなど、吹田でもしばしば見かける動物たちがとりあげられ、その形態や行動の秘密がやさしく解き明かされていて、目からうろこが落ちる思いがする。後半部は、生物多様性、地球温暖化から、利己的遺伝子や、なぜ老いるのかという哲学的な問題にまで論が及んでいる。是非、一読をお奨めしたい。
わたしは、2006年に行われた地球研の公開シンポジウム(日高敏隆・白幡洋三郎編2007『人はなぜ花を愛でるのか』八坂書房)に準備の段階から参加して、日高さんとはたっぷりと議論する機会をもつことができた。そもそも、「人はなぜ花を愛でるのか」などと突然問われると、専門バカの傾向がある学者はとまどうばかりなのだが、これは先生が昔からずっと考え続けていたことであり、自然と文化を総合するに適当な問題になると思うと言われた。
与えられたテーマは(欧米人が直接の先祖とは認めたがらない)ネアンデルタール人が6万年以上まえに埋葬に花を使った(のは本当か)ということ、ほかにも縄文人が木や花などの植物を描かなかったのはなぜだろうというところにまで討論がおよんだ。もっと議論をふっかけておけばよかったと思うのだか、今は、なつかしい記憶の1コマになってしまった。先生のご冥福をこころよりお祈りします。
(カンチョー)
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