吹田の水を大阪に送るというテーマで、地球研にいってグーグルなどのITを駆使?して、吹田から天満橋までの高樋のイメージ図と断面図を調べてもらってきました。天満橋にしたのは難波宮のある上町台地の標高が垂水神社とほぼ同じになるので、そこまで「お上に」来ていただく、とオマケしてもらったからです。
それでも、断面図を見て問題なのは、神崎川をわたったとたん(1キロかそこらで)天満橋まで標高がほぼ同じになることです。平面ではどう傾斜をとるかがむずかしいですね。
ローマ水道式にするのか、ながしソーメン式にするのか、ワイワイ騒ぎながらやってると、ちょうど研究会にきていた、宇宙人文学を提唱中の中野不二男さん(すいはくにも講演に来ていただきましたね)が「おもしろいなー」とのってきて、古代史から石油パイプラインにおよぶ液体輸送のウンチクをのべはじめました。そのあと、東京に帰ってからも電話してきて、「あれは、半裁の竹じゃダメだ、フシをくりぬいた竹ならできる」と、いっております。
それとは別に、きょうちゃんに竹の会の皆さんに聞き取りして、8キロのながしそうめん台を作れるかどうか(ギネスブック登録は2.5キロだそうです)を調べてもらっています。今は情報洪水の状態ですが、ぼつぼつ整理して、この夢プロジェクトの進展を紹介していきたいと思います。ご期待下さい。
(カンチョー)
コメント
一直線にこだわると難波宮へいけないのですね。
何度か曲がっても少しずつ標高差のあるルートを取ればいいのでは?
昔、飢饉のときなら一直線にこだわらなかったと思います。
あ、私もばかね。
標高差にこだわらなくてもいったん低くなっても水を高いところへ上げればいいではないですか。
水車を使ったりして。
竹の筒の話で思い出しました。
私の故郷の金沢の兼六園は町中の台地の突端にあります。
台地の両側に浅野川と犀川が流れており、台地に流れ込む川はありません。しかし、園内には大きな池があり、その水が金沢市内を流れていきます。その流れは辰巳用水呼ばれています。
高台にどうして揚水しているかと言うと、金沢城の辰巳の方角の浅野川上流から取水し、石管の中を水が流れて来ています。
サイホンの原理で台地に揚水しています。
辰巳の方角には江戸時代から続く取水口を守る家が代々続いています。江戸の技術を今も利用しています。
竹の筒を利用してとの話を聞いて思い出しました。