講演会「古代豊島地方の景観」

10月9日(土)秋季特別展「「災害から地域遺産をみなおす~吉志部神社の復興~」のオープニングイベントは人間文化研究機構の機構長で歴史地理学がご専門の金田章裕先生の講演会でした。題して「古代豊島地方の景観」。

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条里制は、7世紀終わり頃、班田収授により制定されたもの。その後、律令制度はうまくまわらなくなって荘園制へと変わっていくが、条里制をもとにした土地の呼び方(条里呼称)は使われつづけ、土地の区画(条里地割)は面積の単位と対応するものとなった。条里呼称と条里地割を条里プランと呼び、中世に農業システムの基本として確立し、水田景観の原型となってる。
「豊島(てしま)」は現在の豊中市、池田市、箕面市、吹田市の一部にあたる地域。平安時代に成立した和名抄をみると、「豊島郡」のなかにでてくる地名は、なぜか北に偏っている(萱野郷など)。
奈良時代から中世にかけての豊島郡の土地に関する文書をたんねんに調べることで、現在のどの場所が何条何里であるかという条里プランが復元されている。

用語になじみがなくてムズカシかったので、ちょっと意味取り違えている?かも・・・このほか、東大寺領だった摂津国垂水荘指図(さしず)や、垂水西牧榎坂郷の考古学遺跡の調査結果などをもとに説明いただきました。ところで、榎坂郷では”壟”の記載が多く、何を意味するのかはよくわかっていないそうですが、田の中に盛り上がった荒れ地ではないかということでした。
金田先生のご著書のうち『古地図からみた古代日本―土地制度と景観』(中公新書 1999)は、手軽でわかりやすいそうです。参考にしてください。
そして、今回も恒例のカンチョー乱入がありました。

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カンチョー「歴史家は、ちょっとコメに集中しすぎているようだけど・・・」(←来週シンポで焼き畑の発表をするので、それにこだわっている発言)
キンダ「田と畠は作物の違いではなく、田とは正式な耕地、畠は私的な耕地を意味している。(ちなみに「畑」は、焼き畑のことだそうです。)コメだけだったたわけではない。しかし、コメ本位制というか、税はコメで納めるので重要だった。」

最後に☆
カ「ここ吹田の市民の間に「千里ニュータウン」を世界文化遺産にという声がある。文化庁の世界文化遺産の委員をつとめておられる金田先生からみて、なる可能性はあると思うか?」
キ「千里ニュータウンは、クラレンス・ペリーの近隣住区論をつかって作られた世界最初の大規模ニュータウン、50年経過した近代建築などが、今つぎつぎと認定されているところなので、可能性がないわけではない。しかし認定のためには、まずペリーの業績からみた位置づけをしっかり調査、そして真正性-本物がきちんと残っているかどうか、今後どのようにしていくかなどの点をおさえていく必要がある。」
かなり厳しいハードルがあることを指摘されましたが、強力な博物館のサポートを期待したいところです。

(おーぼら こぼら)

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