小松左京さんは(まるで遺言のように)3・11災害は地震・津波という天災と原発による放射能被害という人災の2つをはっきり分けて考えなければならないといっていました。天災のほうは、歴史をひもとけばわかるとおり、それこそ縄文時代から日本人は悩まされてきましたが、努力してなんとか乗り越えてきたことは明らかです。
ところが放射能被害は広島、長崎、スリーマイル、チェルノブイリ、それに、世界各地の原爆実験などの例はあるのですが、情報隠蔽や調査不足もあって、先ゆきがさっぱり見えない。いま、マスコミでおおくの識者がさまざまな意見を開陳してますが、どれを信じていいのやら。
今夏、すいはくで講演した吉岡さんは、散らばった放射能量はわかっているといっていたので、その量と拡散範囲を把握できれば、除染のメドはたつはず。放射性のヨードやセシウムを抽出して小型化し、半減期を待つ、影響がなくなるまで保存する(重水に沈めるとか)のがベストだろうと、これも放射能を測ろうワークショップにきた専門家がいってました(立ち話でしたが・・・)。
京都の山奥に住む私の友人Mさんは、「もし若狭がやられたら、20㌔圏内や、どうすりゃいいの」と、友だちの絶対大丈夫という保証(これもたしかに怪しい)にもかかわらず、深く悩んでいるようです。これが空が落っこちて来ると言う妄想にとらわれて寝食もままならなくなったという古代の杞の国の人たちと同じでなければいいのですが。
小松さんは「日本沈没」のあとをどうするのかを書きませんでした。第二部は(相談にはのりながら)谷さんに書いてもらった。日本列島を失った日本人は世界に分散して、精神的な団結だけで生き抜いていくことになったという話でした。
Mさんの恐れを極端に解釈すれば、放射能が充満した日本列島は結局「沈没」と同じ状態になるでしょう。近いところならロシア、中国、韓国、北朝鮮(この辺りには原発や原爆貯蔵庫がいっぱいあるけど)へ移住する。アメリカもその意味では危険だし、残るはオーストラリア、ニュージランドくらいか。そもそも、うけ入れてくれるかどうか・・・。
今回、福島で感じたことは、おおくの人々が、ふるさとの地に踏みとどまり、洪水のような情報のなかで何か正しいのかを身を挺して見つけ出していくことを辞さないという道を選んでいることでした。その思いを裏切らないような行政のありかたと科学技術の進歩を願うばかりです。医療関係者の本*には、放射能は恐れるばかりではいけないという意見があることに一縷の望みをいだきました。
*舘野 之男 『放射線と健康』 岩波新書 2001
*中村 仁信 『低量放射線は怖くない 』 遊タイム出版 2011
(カンチョー)
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