今回の展示品のなかに、煎茶道具があります。煎茶は江戸時代初期に黄檗宗の僧によって、当時の中国文化の最先端として紹介されたそうです。形式化の進んだ茶道にたいし、手軽さがうけたのか江戸、大阪、京都の上流階級の間にひろまりました。幕末から明治にかけても流行があったそうです。
煎茶とは無醗酵の茶葉(玉露やほうじ茶など)に湯を注いで飲むもので、むかしは高級品、しだいに道具がふえ附属品が加わって、日本人の好きな煎茶「道」となっていきました。
道具類は、涼炉(コンロ)、ボーフラ(湯瓶、湯罐)、急須、茶心壺(茶入)、茶則(茶をはかる道具)、煎茶椀、水注、炭籠、建水、盆、棚、提籃(ピクニックバスケット)、器局(茶だんす)などいろいろありますが、涼炉、急須などが中心となっているのは、火をおこして湯をわかし、茶を入れてのんだあと、そこでかたづけるという、完結した儀式になっているからでしょう。お茶が量産されて安くなった今では、奥さんに「おーい、お茶」と叫んだり、ペットボトルで飲んでゴミ箱に捨てている今とは大きな違いですね。
涼炉の上に乗せる湯沸しをボーフラと呼んでいるのはおもしろいですね。蚊の幼年時代のことかとおもったら、胴部の膨らんだ形が小さなカボチャに似ているので、ポルトガル語のaboboraからきたのではないかという説が有力だそうです。幕末-明治期に、中西家の座敷で、知識人が集まって文明開化を論じているシーンを思い浮かべるのは私だけでしょうか。
(カンチョー)
コメント
中に炭がいこっていて熱いのに、「涼」炉というのもふしぎですね。なぜなんでしょう???