講演会「災害から文化財を守る」文化遺産は次世代への贈りもの

4月1日(日曜)14:00~15:30
講演会「災害から文化財を守る」文化遺産は次世代への贈りもの
 土岐憲三氏(立命館大学歴史都市防災研究センター長)

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文化財防災における小松左京氏
1995/01 阪神淡路大震災発生
1997/10 地震災害から文化財を守る会
       会長:小松左京氏 副会長:瀬戸内寂聴さん
2001/08 NGO地震火災から文化遺産を守る会

1995/01 阪神淡路大震災までは「防災」は「文化財」を敬遠し、「文化財」は「防災」を重要視していなかった。文化遺産の災害防止のためにはこの二つの分野の協力が大切だ。
特に地震火災の問題において二つの分野の協力は必須である。

文化遺産防災はどのようにして始まったのか
阪神淡路大震災で国宝は消失しなかった。震源から60km離れている京都では大きな人的物的被害はなかったが、仁和寺と醍醐寺で消防施設:貯水槽と放水装置とのあいだの管が破損した。火災が起きていたら……

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今後京都で直下型地震が起きたら……。京都には国宝がたくさんある……。

今後数十年の間に内陸の活断層による地震が近畿地方をおそうだろう。
京都の文化遺産の密度は全国平均の10倍だ。それらが火災で焼失する可能性が高い。

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1200年の歴史のある京都では過去2回、文化遺産が失われている。
1回目は1470年ころの応仁の乱、2回目が明治早期の廃仏毀釈。
3回目が近日、地震火災によって起きるのではないだろうか。

なぜならば
ここ100年間で都市の構造が変わり地震火災の可能性が飛躍的に高まった。
明治以後は社会構造が変わって文化遺産を復興、寄贈するような権力者がいなくなった。

既存の消防施設は境内の中で起きた火災の消火を対象としている
しかし寺社は可燃性の高い民家に囲まれている。
外部から寺社に及ぶ延焼火災を防止する消火施設が必要だ。

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終戦後の昭和23年に起きた福井地震の火災で焼失した福井市の航空写真が最近アメリカの資料からでてきた。
当時は木造家屋ばかりだったのでここまで焼けてしまったが、京都がこのようにならないという保証はない。

そのために何をしてきたのか。文化遺産防災への取り組みとして官民学の組織がある。官は内閣府の中央防災会議。民は阪神淡路大震災後の1997年に地震火災から文化財を守る協議会が立ち上がり2001年にNPO法人災害から文化財を守る会へと発展した。学は立命館大学歴史都市防災研究センター。このうち小松左京氏は地震火災から文化財を守る協議会の会長に就任した。これら官民学の連携・協力がはかられている。

そして国の重要文化財建造物の総合防災対策検討会(H20.8~H21.3)の報告書に「関係各省庁は防災対策の位置づけの強化、各地での事業の実現の支援・・・などの取り組みを今後支援していく」という文言を入れ込めた。
これは文化遺産防災の重要性について国として初の認識だった。

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その後京都市と国の事業として『東山山麓文化財防災水利システム』の構築が始まった。高台寺公園の地下に雨水貯留システムによる巨大な耐震型防火水槽が作られた。
清水寺の協力で清水寺境内にも耐震型防火水槽が埋め込まれ東山山麓の文化財に配水できるようになっている。

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以上は京都の文化財を地震火災から守るシステムの構築だが、ふりかえると現代の京都や日本は先人から多くの文化遺産を得ている。それに対して我々は後世のために何かを遺そうとしているだろうか?
100年前の人々平安神宮、時代祭りを遺してくれた。
遷都1200年の記念に我々が後世に贈るものは京都駅と地下鉄東西線といったものでいいのか?

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これからでも遅くないので文化を遺したい。たとえ50年100年かかっても(税金ではなく)市民がわずかずつ献金して羅城門(※)を作りたいと思っている。

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(※)羅城門(らじょうもん)は、平城京や平安京などの条坊都市の中央を南北に貫いた朱雀大路の南端に構えられた大門で、都の正門ともいうべき門であった。

(おーぼら)

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