「ニュータウンの遺跡」を表現する :アーティストからのメッセージ

『市報すいた』11月号の表紙をかざるニュータウン半世紀展「ニュータウンの死と再生」コーナーのディスプレイを担当してくださったアーティスト・安芸早穂子さんからメッセージをいただきました。「作品」は特別展会場を入ってすぐ右側にあります。流している映像も安芸さんが編集された力作です。ぜひ展示場で実物をご鑑賞ください!(鑑賞用の椅子も用意されています

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ニュータウン半世紀-千里発DREAM―は博物館と美術館のハイブリッド展示だ!

画像「ニュータウンを遺跡として展示してほしい」という要望を伺ったときは、かなり愉快な気がしました。「新しい」が売りものの町が遺跡になる。この不思議な仮定を博物館で展示するとは愉快ではありませんか?私は現代美術展示の本流となってきているインスタレーション(作品を単体としてではなく、現場と有機的に関係づけた総体を一つの芸術空間として提示する表現形態)など展示の新形態を博物館も、もっと取り入れるべきだと考えてきたのですが、思いがけず今回の展示はその実践の好機を頂いたようなものでした。

そもそも今回の特別展タイトルには、博物館の匂いがあまりしませんね。どの言葉もが「博物館入り」するとは思えないものだからでしょうか。ある意味では昨日までまさに私たちの生活の中で生きていたものが、数日のうちに過去のものとなり、未来ヘの遺物となってゆくその現場にたまたま私たちが立ち会うこことになった 奥居さんの言うとおりですね。壊された団地から集められた遺物たちはまだ出来たてほやほやの「過去の遺物」なわけですから、その真新しい「遺物」の未来を「遺跡」として展示するなんていう不思議な仮定はファンタジーのインスタレーションに他なりません。コーナーのタイトルは「ニュータウンの死と再生」!博物館でそんなものが見られるなんて、なんとも愉快ではありませんか!

ついこの前まで誰かの名前があった表札、毎日あけた扉、見上げればそこにあったハウスナンバー、バルコニーの手すりやトイレまで、昨日までそこに居た住人たちの時と想いがサビや傷となって染み付いているカケラたちは 文字通り欠片となったことでさらにパワフルに私たちの何かを刺激できるようです。

ファンタジーの遺跡にそれらを並べてみると、「誰か」が残したかけらは「誰も」が残した普遍的な「遺物」となって見る人たちに委ねられ、それぞれの心の自由な場所に居心地よくしまわれたり、新たな思いをつくり出したりし始める・・・つまりそこで遺跡はアートになるんだな とつくづく思ったそれは制作経験でした。

今回の展示の出来ばえはともかくとして、博物館の新しい魅力的な展示方法の一つとしても、知性を刺激する博物館的展示と想像性で情緒を刺激する美術館的展示が、ともにひとつのテーマを追ってハイブリッドに「総体としての芸術的な空間」を作り出すことができれば それは見る人々にとってより愉快で印象的な体験になるのではないか。「ニュータウンの死と再生」コーナーの展示制作の過程で私はその思いを益々深くしました。

最後に、今回の特別展展示について自由寛容に全体デザインから制作までを支持して下さいました市民実行委員会、吹田市立博物館に心から感謝を申し上げます。

(安芸 早穂子)

コメント

  1. アルプスの少年 より:

    見入っているオッサンが気になりますが、たしかにインスタレーションとインスピレーションのハイブリッド展示ですね。

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