千里ニュータウンの「お客様」

●ロケに来た吉永小百合さん、浜田光夫さん(1965年)のほかにも、千里ニュータウンにはいろいろなお客様が来ています。

●1966年4月23日には(当時の)天皇皇后両陛下が視察に来られました。土曜日でした。私の同級生で、F台元住民のtsugioさんが同窓会サイトに書かれた思い出話を、本人の了解を得て一部ご紹介します。
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昭和天皇が来られた時に藤白台の近隣センターを通って行かれたことがありましたよね。
私は父親と二人でロータリーの内側で通られるのを待っていたと思います。
その時に父親が「天皇陛下が見えても決してバンザイと言ってはいけないよ。そう決まったんだから。」と言うのです。我が家の決めごと?と思っていると近くにいた近所のおじさんおばさんたちもそう話していました。あぁ自治会で決まったんだなぁと勝手に思っていました。当時は。(*_*;
そうこうしてるうちに、阪急の線路の方から「バンザ~イ!バンザ~イ!」の声がだんだん大きくなり、私たちのいるロータリーに車が近づくと、周りの人たちも「バンザ~イ!バンザ~イ!」の声。車が見えると、隣にいた父親もバンザ~イ!バンザ~イ!!と叫んでました。(-_-;) なんじゃらほい!と思いましたが、今ではその気持ち理解できなくはないです。
当時のことを覚えておられる方はいらっしゃいますか?バンザイと言ってはいけないエピソードは記憶の錯乱かもしれませんね。
この時の真実を聞こうと思っても、その父親は昨年73歳で亡くなりました。聞いておけばよかったなぁと思うことが他にもたくさんあったんですが、今では叶わないですよね。
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この話、「昭和の戦後」を強烈に感じさせるエピソードなのでご紹介させていただきました。この感覚、今の若い人にわかるかなぁ?時代と家族と出来事が一つになった「生きた」思い出ですね…。

当時の記事を見ると午前9時20分にロイヤルホテルを出られ、東淀川区の盲学校を視察されたあとニュータウンへ。古江台の展望台から万博会場予定地を遠望。新大阪駅で昼食を摂って午後1時半の列車で帰京された…とありますので、ニュータウンに来たのは午前中だったはずで、僕らは授業を休んで沿道に出ていたことになります。この視察に間に合わせるため、あっという間に展望台ができた、なんてこともありました。新御堂筋もなかったのに、どの道を通ってきたんだろう?

●1970年、万博の直前には、タイから神戸港に運ばれてきた象の集団が神戸から171経由でずっと歩いてきて、北千里の駅前を行進して万博会場に向かっています。北千里の駅前にも寄り道したそうですよ!旅の途中に船の中で生まれた子象も一緒に行進してきたそうです。市民委員のAさんが、このときの写真を持ってこられました。前記tsugioさんの記憶によれば、平日の午後だったそうです。

皆の記憶や記録の断片をつなぎ合わせると「あのころ」が浮かび上がってくるのも、近過去をテーマにした展示会ならではの楽しみですね。

(by okkun)

コメント

  1. okkun より:

    サルを入れるなら、箕面の滝の観光馬車の馬も、ときどき北千里まで遠出の散歩に来ていたことがあります。(もちろんおじさんと一緒に!)アスファルトの道にシャンシャンシャンと鈴が鳴り響いて、なかなかイイ感じでした。サルは数年前にもふじしろ幼稚園前まで遠征に来ていたことがありました。

  2. F台元住民のtsugio より:

    「千里ニュータウンの住人」 千里ニュータウンにお客様もたくさん来られましたが、ニュータウンに住んでいた著名人もけっこういますよね。そのことを知ると急に親近感がわいてきますよね。たとえば、西川きよしさんご夫婦は古江台に住んでいらっしゃいましたよね。西川のりおさんもその頃、同居されていたと思います。飯干晃一さん景子さん親子は藤白台に。ヤクルトスワローズのショートでオリンピックでは全日本のキャプテンも務めた宮本慎也選手も藤白台出身。ヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんは青山台中学校に通われていたそうです。そのほかにも多くの著名人が千里ニュータウンで暮らされていたことだと思います。やはり、著名人の方々にも住みやすい街だったり、才能を開花させるのに適した街なのでしょうね。

  3. 沿道でお迎え より:

    天皇陛下が来られた時に、千里一号線まで旗を振りにいきました。日の丸も授業で自分たちで作り、担任の先生に連れられてクラス中で行ったはずです。でも、よく見えないうちに、あっという間に黒塗りの車が通りすぎてしまい、がっかりでした。(1966年4月というと、小学校2年生になったばかりの頃で、本当にそうだったのか、細部の記憶はあいまいです。)

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