現在、公立博物館を指定管理者制にすることが各地で起こっています。
行政に金がなくなったので、民間の活力に期待して任せようとしているのです。その発想自体は悪いものではありません。官のサービス精神のなさ、予算消化主義、カラにとじこもる守旧的学芸員などの公立の悪弊はすでに皆様ご存じの通りですが、実際、民の力を発揮して活路を見いだしている博物館もいくつかあります(野間誠二「人を集める・人が集まる-長崎歴史文化博物館の実験-」『月刊みんぱく』2006年10月号, pp.8-9:月刊みんぱくのHPでpdfファイルになった写真入りの記事が読めます。本文のみはこちら)。また、国は博物館を独立法人化(これは国が指定管理者になったということでしょう)したので、東京、京都、奈良、民博、歴博なども必死の努力を始めています。
ただし、制度改革は大きな痛みを伴います。指定管理者制は、指定された業者によって、かえって悪い方向に向かう危惧をかんじることもあります。わたしが聞いた例は(名はあえてここではあげません)、博物館とホールその他が複合されていた施設が、博物館は公立のまま(どうにか)残し、ホール等の経営が民間に委託されました。ところが、企画があまくて人が集まらず、採算重視の管理者は、(基本的な経費は保証されているにもかかわらず)、「大商品処分市」のような金儲けのためのイベント(ボーリング場跡でよくありますね)にはしりはじめる。そうなると、これまで公共施設として維持していた品位が地に落ち、それが公立の博物館にまで及ぶことが危惧されるのです。
指定管理者制度は福祉関係施設でも進んでいるそうですが、採算が合わないと放棄してしまう業者もあり、大きな社会問題となっていると聞きました。博物館は閉鎖されても直接の被害はないのですが、その地区の文化や教養のレベルを示すものであるために、市民のプライドに大きく関わるのです。市民に支持され、愛される博物館にするには、どうすればいいのか、当面の責任者である館長としては頭の痛いところです。
(カンチョー)
コメント
1986年の国鉄民営化から20年、「官から民へ」が基本トレンドとなった延長線上で「指定管理者制度」も論じられてきたのではないかと思いますが…ヒジョーにシンプルな話ですが「ダメな『民』もいれば、ちゃんとした『官』もいる」。本当に公的に「必要」なものは「上手くいかないからヤーメタ!」となっては困りますよねえ。「官か民か?」とは別の軸で「それは正しいのかどうか?」を見きわめないといけない、シビアな時代になってくんだと思います…人口減少時代だからなあ。
「考える市民」さんのコメントヲ見て思い出したこと。アボリジニは1967年の国民投票によってはじめてオーストラリア国民と認められました。それまで保護区として隔離されていた北海岸のアーネムランドや中央砂漠地域の社会に対して、政府は多額の公費をつぎ込みました。そのなかに、経済的自立をめざした、美術工芸産業の振興策があり、大きな町にアートセンターをつくったのですが、経営がうまくいったもの、だめなものがありました。ところが、次年度の補助金は、前者はけずり、後者には多くということになるのです。自立できているんだからいいじゃないか、という行政の理屈はわかるが、考え、努力することは無駄なのか、それならサケのんで遊んでる方がトクになるのかと嘆いていました。この種のことはながいスパンでみて、育てることが大切なのにと思いました。
指定管理者になっても、その任される範囲の問題もありますが、制度そのものは一体どういう考え方なのでしょうね。吹田では、一定の予算が与えられて、委託を受けたところが努力して、経費を浮かせた場合、吹田市に返金せよと言われるようなのです。えーっ!そりゃないだろう、って思いませんか?なにも浮いたお金はみんなで宴会やろうってんじゃないのに…その施設でする事業に使おうと思っているのに、「ダメだ!返せ!」だなんて…「民の発想で活性化させろ、税金も節約して返せ!」だなんて民は行政のそんなご都合主義をだまって指をくわえておれってぇの?指定管理者制度のことを詳しく知っている人、「指定管理者制度」の講座開いてください。
公は公で予算削減の中、しのぎを削っているような状態で。私の勤務する公(どうにか?)施設では、本日地域の方々向けの体験活動をおこないました。恒例の行事ですので、多くの人に参加いただいたのですが・・・。活動の合間に外回りに出かける時間があり、ちょこちょこと動いてみると、本日は雨の中、各公機関でさまざまな、しかし似たようなイベントを行なっていたのでした。それぞれ目的をもった活動なので、それはそれでいいのですが、もっと他の団体とのソフトの交流ができても良いのかなあ、と思うと同時に、もっと視野を広くとらないと「正しいかどうか?」がわからなくなってしまうんだろうなあ、と思った師走の土曜日でした。