元テレビマンKさんの話は続きます。
ソ連館の広報の通訳というか、日本のマスコミ相手の窓口やった広報担当していた人がユダヤ系白系ロシア人のアンチービンさんという、めちゃくちゃ日本語のうまい人やってん。このおっさん、日本の県立千葉一中って優秀なとこを出てて、戦争が始まったからソ連帰って、モスクワ大学かどこかで日本語の勉強したっていう。で、ものすごいきれいな日本語、山の手言葉を話すんや。「そうでございましょう」という言い方。
「あんた、大学で何を研究してたんや」って聞いたら、「日本語の乱れについて」やて(笑)。「Kさんの日本語は、何、おっしゃっているか、ワカリマセン」「あたりまえや、大阪弁やないか」(笑)
この人、後日談があるねん。万博のしばらく後に、ブレジネフ書記長の単独インタビューをやろうということで、モスクワに行った。その時に出てきたんが、そのおっさん、アンチービンさんやってん。「アンチービンさん、よぉ、あんたかいな、面倒見てくれるの」。モスクワには、その後何度も通ったけれど、便利でよかったよ。
(聞き書き・こぼら)
コメント
室内をごそごそ。 なかなか、思うようにね「整理・整頓」出来ません。 本は、立てみたり、横にしたり(結局 積ん読・??)。 お宝発見。 100YEN 昭和45年 EXPO’70<裏?>・日本国 百円 富士山デザイン 500 昭和六十年 TSUKUBA EXPO’85 <裏?>日本国 五百円 富士山と サクラデザイン
どなたか、沖縄・愛知をお持ちでは。 「吹博」に、「お飾り」したいです。 100円と500は、明日・3/7・の「盛り上げ会」に持参します。
元テレビマンKさん「ありがとう」ございます。 モスクワ大学では、「おおきに」、「ごちそう」さんを、何という言うやろ。 グーグルで、グル、グル。なかなか見つかりません。
ひときわ背が高かったソ連館、千里NTからよく見えました。うちからは白い面しか見えなかったので、会場に行ったら反対側が真っ赤でビックリ!したものです。国の中にまた国が15個もあると知って、またまたビックリ…。
アメリカ館は並んで行ったけど ソ連館には行かなかった てつ です しかし、ずっとのちになりますが 天満橋のエキスポカフェがあったころ いろんなイベントをしました その時来られてた ソ連館の関係者の方の裏話は 怖い話でしたよ まだまだ東西冷戦真っ最中 KGBのエージェントも沢山紛れ込んでて 裏でばちばちやってたとか おー 怖!