見て回ったパビリオンは驚きの連続だったが、館外でもいろいろなサプライズがあった。とりわけ、時の人・長嶋茂雄が突然現れたのにはびっくり!思わずペンタックスを手にしたが、少し手が震えていたのを覚えている。(写真のピンもちょっと甘い。手前は後の参謀役・黒江)
長嶋もぼちぼちたそがれ時かと囁かれはじめたころだったが、なんと万博見物翌年の1971年、8度目の首位打者に輝いたのだ。なんという男だろう。というのは、その時見初めたコンパニオン(ホステスと呼んでいたが)のひとり、西村亜希子さんを嫁さんにしたのだから、輝く雄姿を見せたかったにちがいない。しかしその後の長嶋は引退に向けてまっしぐら。パッとしなかった。万博後の1年が最高だったのだ。
後年、東京・池袋のS百貨店の依頼で「栄光の長嶋茂雄展」という企画作りに参加した際ちらりと会う機会があったが、万博会場で盗み撮りした話、奥様との馴れ初め話のことには触れなかった。
(あかちゃん)
コメント
ご指摘のとおりです。ごめんなさい、混乱してました。というのは、万博をいろいろ探っている中で、「公式記録映画」の製作に関わった人に行き当たったのですが、この方は「東京五輪」の映画製作にも関わった人でした。監督は市川昆と思い込んでいたのですが、万博は谷口千吉だったのですね。思い込みはいけませんね。ところで、その方がお持ちの東京五輪の台本と万博の「映画製作メモ」をお借りすることにしました。何が飛び出してくるでしょうね。まずはひそかに楽しもうかと思っています。
ご子息である長嶋 一茂さんは1966年生まれと公表されているようです。もしかして、奥様は東京五輪のコンパニオンでいらっしゃったのでは?