わたしと万博(28)…万博アパシー(カンチョーのトラウマ)

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『’07 EXPO ’70』を開催する吹田市立博物館の当事者であるはずの「カンチョー」、 (ヨーロッパからはあんなにマメにメールを出すのに)なぜか大阪万博については、口が重い・・・ というわけで、こぼらの突撃インタビューと相成りました。

---ぼくはミンパクのK教授(ブログ「万博カヤの外」参照)より10才上だから、学生だったのは60年安保の時。70年当時はもう助手でした。万博に対して反対というより、アパシー(無関心)。学生時代は、完全なノンポリ。デモには1回行ったけれど、次の日にはもうやめて、映画見に行った。

70年は野川遺跡の発掘をやってましたが、自分の弟分みたいな連中が発掘に来る。その前に学園紛争が入ってきて、まじめなやつがのめりこんで警察につかまったり、学校をやめたり。大学も一時閉鎖になったり。たしか都知事選でミノベさんが圧勝したんだなー。自民党が好きなんていうと孤立するような流れがあった。

大学全体の雰囲気が、万博なんてバカなことという感じだから、心情的には反博に傾いている。そもそも考古学が、万博などの開発は遺産を破壊するものだと批判的な立場だった。結果的に、あのときを契機にして地方に発掘財団というのができた。三内丸山遺跡は、その一つの完成形みたいなものといってもいいかもしれない。それが今、公共投資の削減で瀕死の状態なんだけれど。責任の一端はそれで食ってきた考古学者にもあると思う。

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東京では、大阪ほど濃密な宣伝がないから、それほど煽られるような感じはなかった。すぽっと抜けた状態だったことも興味がわかなかった原因かもしれない。もう一つ、これは個人的なことだが、ちょうど米国留学の直前で、試験(フルブライト奨学金)を受けたりして、準備に忙しかった。だから、万博に行きたいというような気持ちは、まったくなかった。

ところが、これほどお世話になるとは。今になったら忸怩たるものがあるな。ミンパク。梅棹忠夫さん、小松左京さん、そして今回の特展。ぼくが考古学を専攻した頃は食べていけるかどうかわからない、何とか○○女子短大のセンセイくらいになれたらいいなーという感じだったのが、留学から帰ってきて、いきなり助教授、目標をこえてしまった。だから人生に目的がなくなってしまって・・・人生の過ち、トラウマだね。

(カンチョー 談/聞き書き・こぼら)
写真は、アメリカ・ネバダ州パイン・バレーでの発掘風景(1974)

 

コメント

  1. okkun より:

    ノンポリって言葉も1970年頃の香りがしますねえ…。きのう私の友人では最も知的?と思ってたやつに「ノンポリ」って言ったら「ノン・ポリシーの略だろ?」だって…「ノン・ポリティカル」ですよね…安保も遠くなりにけり…。

  2. あかちゃん より:

    楽しいインタビューですね。「ガクシャバカ」ではない、カンチョーのスタンスが見えてすごくイイ。私も押し付けられた医学部受験の日、ゲーリー・クーパーの映画を観に行って感動して帰ったら、勘当された思い出があります。万博前後はグラフィックデザインに懲りまくっていました。今は・・・「祭りの後の・・・」という脱力感にさいなまれているのが本音。当時の話の続き、もっと聞きたい感じがします。

  3. おーぼら より:

    写真は砂漠で落としたコンタクトレンズを探している風景に見えます。
    おーぼらもどっちかってーと、「行けたら行ってもいいかな」という感覚でした。たまたま春休みの開幕日が寒くてラジオで「すいてる」って放送してたので「んじゃ、安くなる夜の部でも見てやっか」と、家族友人をさそって行きました。天文学に興味のあった私は、やはり「月の石」に直行しました。並ぶことなく、また、月の石の前ではゆっくりと三脚を立てて撮影する時間がありました。その後は会場の混雑が連日報道され、一方、就職して4月からの半年は土日もない生活でした。結局、バイトで会場に行った日ともう一回、先輩の入場券で入った計3回しか行ってません。でも回数はカンチョーより多いよ。

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