普通のおじさんおばさんに戻れない人たち…「万博展」うちあげ

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ホテルマーレには二週間ぶりの再会を楽しむ市民委員が集まりました。(一同が空腹の中、)まず谷川委員長が挨拶しました。

≪07万博展市民委員会 谷川一二委員長≫
市長をはじめ吹田市の職員の方々が議会中にもかかわらず「第一級の会合」という評価でここにおいでいただきまして、本当にありがとうございます。
私たち31人でスタートしました市民委員会ですが、途中から辻さんというお方にお入りいただきました。
オブザーバーとして田村先生や白井さんのようなベテランの方々に応援していただきまして無事38日間の会期を終えることができました。
心から御礼申し上げます。

私は市民委員会を組織した最初に「去年の千里ニュータウン展を考えた形で万博展をするならば、必ず失敗するであろう。二匹目のドジョウは逃すだろう」と言いました。
みなさんに「フンドシを締めなおして頑張ってやりましょう」と言いました。そうしてスタートしましたが、やはり“中だるみ”はありました。しかし終盤ではみなさん方は去年以上に一致団結して行動力は目覚しいものがありました。
そのおかげで1万5千人の観客を動員することができました。去年と比べまして約70%の点数かなと思います。大学でも60点とれば合格なのですから「この市民委員会は去年に続いて合格点をいただけたのかなぁ」と自画自賛しています。
辻さんという方が後半に入ってこられました。辻さんは「何かやりたい。何でもいいからやらせて下さい。どんな汗をながすことでもいい」と言って市民委員会に入ってこられました。
辻さんは汗かきなのですが、文字通り毎日ものすごい汗をかきながら、重たいものを運んだり、しんどい裏方の仕事をやってくださいました。
こういう方がおられたからこそ、この万博展は成功と言われるような道筋をたどってきたのだと思います。
去年に続きましてこのような形で新しい友だちが、新しい人脈が、新しい出会いがあったことに心から感謝しています。
皆さまもこの人脈を大事にしながら、来年も再来年も何かがありましたら、また団結したいと思っています。

12月1日に中国の羅田廣(ら・でんこう)総領事がおいでになり、市長と対談していただきました。その場で「2010年の上海万博に使節団を送ろう」と市長から提案がありました。総領事もとても喜んでおられました。

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ひとつ思い出してください。この万博展を担当していた学芸員が残念ながら病に倒れてリタイヤしました。でも非常に心配なさっていたようで、会期途中に博物館においでになって、本当に喜んでおられたということをお聞きしています。
私たちは、こういう人が陰にいらしたということを忘れないで、今夜は私たちの、このチームワークのいい市民委員会の力をお互いに褒めあって頂きたいと思います。
今夜は和気あいあいと、大いに楽しく過ごしてください。(6分20秒)

≪吹田市 阪口善雄市長≫
今夜は万博展の成功を祝っての打ち上げということで喜んで寄せていただきました。
本日の本会議4日目でしたが、ここに出席なさっています中本議員さんから「博物館はどうあるべきか」というご質問を受けまして答弁いたしました。
去年の千里ニュータウン展といい、今年の万博展では「吹田の博物館は本当に変わったなー」と感じました。
私が提唱しています「市民のみなさんとの協働、協育また協創」といった行政だけでは施策を進めていけない、まちづくりができないという強い信念で8年前に市長に就任いたしましたが、その中で博物館でこのような素晴らしい活動が展開されるということは夢にも思っていませんでした。

私は小山先生のことはテレビや本でしか知りませんでしたが、私が就任してしばらくしてから、北海道大学に転勤された石森先生からのご紹介で小山先生に博物館長として来ていただきました。小山先生はその個性をフルに発揮していただきまして、また谷川さんや多くの方々に結集していただきまして博物館の雰囲気が大きく変わりました。
私は「博物館の運営の仕方がこんなにも変わるものかな」とつくずく驚き、感心しています。
千里ニュータウン、万博という吹田の宝を踏まえて、博物館が市民のみなさまがたの琴線に触れたのではないか、引きつけるものがあったのではないかと思っています。
(今回の万博展では)多くの作品、資料が展示され、シンポジウムや講演が開かれました。

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今回は中国の羅田廣(ら・でんこう)総領事にも来ていただき、対談いたしました。私は総領事のことを「閣下」と呼んでいましたが、あんなに気安くおしゃべりできたことをたいへん嬉しく思っています。
3年後の2010年は市制施行70周年、万博開催40周年にあたる節目の年なのです。奇しくもその年に上海万博が開かれますので、それに向かって市制70周年事業をどうするのか、これから取り組むところなのです。その中で「博物館も巻き込みながら上海に一緒に行きたいなぁ」と思っています。
あの時に羅田廣総領事は「万博の目標は大阪万博の人類の進歩と調和ですよ」「大阪万博の後に記念公園として残されていることは素晴らしいですね」とおっしゃいました。ところが国は行財政改革の中で「独立行政法人をやめよう。民営化も選択肢のひとつ」と言ってきています。
私は万博記念機構と連携して「独立行政法人を残してほしい。民営化はしてほしくない」という要望書を二週間前に出しました。民営化されたら心配な面もあります。万博公園はナショナルパークですし、国民の宝、府民の宝、市民の宝なのですから、これがなくなるようなことがあってはたいへんです。ですから万博展をしていただきました皆様方にはこのあたりを充分にご理解いただきまして、存続の運動を一緒にできたらいいと思っています。
私はびっくりしましたが、この12月24日に第一回の結論が出るそうです。それまでに地元吹田から存続の要望書をもう一度出そうと思っています。万博公園がなくなることは考えられません。なくなってはたいへんです。中国から万博の先輩としてあがめられている場所なのですから。
皆さまの結集が来年にも三回目の花が咲きますように是非ともお願い申し上げます。(6分43秒)

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≪吹田市立博物館 小山修三館長≫
演説の最後ですのでなるべく短くお話します。
万博展期間の最後の10日間、敵前逃亡して市民委員から非難を浴びている小山館長です。(笑)
今回の万博展は千里ニュータウン展をする中で必然的に湧き起こってきた声でした。
吹田の歴史の中でも「市民が参加していく」という道が開けたのだと思います。
谷川委員長をはじめ若い市民委員まで力を発揮してよくやっていただきました。
昨日、マスコミの人が「吹田の市民はスゴイですね」と言われました。
「あれだけナンギな人を集め、まとめ、和気あいあいとやってる。ホントに素晴らしい」
と言うのですよ。わたしもそう思いました。そのことが今回の成功に繋がっていると思います。
市長は(明るく)「市民さえ使えば成功間違いなし」と思っていらっしゃるようですが、そーはいかないものです。
今回は戦線が伸びきって、市民委員のみなさんはヘトヘトになっていました。
私はひとことも「やってくれ」と言ったことはないのですが、みなさんは嬉々として和気あいあいと働いていただいて・・・そういう雰囲気がよかったと思います。だから、まだ逃がさない。来年も再来年も……市長の意を汲んで、やっていきたいと思います。(2分32秒)

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作詞・作曲 金子詔一
『今日の日はさようなら』
(1) いつまでも 絶えることなく友達でいよう
明日(あす)の日を夢見て希望の道を

(2) 空を飛ぶ 鳥のように自由に生きる
今日の日はさようならまたあう日まで

(3) 信じあう 喜びを大切にしよう
今日の日はさようならまたあう日まで
またあう日まで

(おーぼら)

コメント

  1. きょうちゃん より:

    こんごも んうと にぎやかに ちきゅうの、まつり はしたい。

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