講演会「大阪万博の語り部 -アメリカ館大屋根との格闘」

太陽工業株式会社OBの藪野正年さんが万博アメリカ館大屋根との格闘を語ってくださいました。あれから41年たつけれど藪野さんは昨日のことのように当時のことが目に浮かぶとおっしゃってました。当時(万博開催2年前)の役職は製造課長兼生産技術課長で27才でした。

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太陽工業株式会社は万博会場の90%のパビリオンの屋根(テント)と休憩施設など1000を超えるアイテムを手がけました。大阪万博のために加工したテント生地の延べ面積は20万平米になりました。そのなかでビッグだったのが幌馬車の形をした富士グループ館とアメリカ館でした。

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富士グループ館の自立する16本の馬蹄形チューブ(直径4m、一本4トン)形式のパビリオン。生地の素材はビニロンにゴム系のコーティングをしたもので厚さが4mm。最大4枚が重なる部分があり、それを縫うのにドイツ製ミシンを使った。ミシンといっても布が動くのではなく、ミシンが乗った台車が動いて縫っていくのです。16mmの厚さの布にミシンの針が通ると摩擦熱で煙が上がって機械(ミシン)は再三故障しました。

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アメリカ館は142×83m、およそ1万平米、支柱はなく、空気だけでもちあげられている屋根です。

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この1万平米の布を小さな工場で縫い合わせるのですが、製造スペースは千平米と十分の一の広さでした。まるで弁当箱の中で風呂敷をつくっている感じです。

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アメリカ館のテントの素材は直径3ミクロンのガラス繊維で織られた布で、その表面をビニールコーティングしたもの。高周波でビニールどうしを接着する溶着という方法で縫い合わせたのでした。この溶着する長さは15km、機械は55cmずつ溶着していくので約3万回の溶着操作を要しました。24時間ぶっとーしで作業しても45日間かかる作業でした。

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工場内で1万平米を折りたたむ作業がたいへんな苦労をともないました。

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そして現場で展開しました。

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万博の18年後に東京ドームができました。

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質疑応答から
太陽工業は帆掛け舟の帆を作ることからはじまり、万博前はサーカスのテントがもっとも大きな製品だった。

東京ドームの屋根はガラス繊維でできていてさらにテフロンコーティングなので絶対に燃えません。
当時のアメリカ館の屋根(ビニールコーティングなので)は燃える可能性はあったので、過激派が火炎瓶を投げて燃えた場合を想定した対処法も検討されていた。

アメリカ館の屋根は枚方工場で作られました。

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(おーぼら)

コメント

  1. okkun より:

    アメリカ館の屋根を縫っていた人は、その昔ミゼットの幌も縫っていた!っていう話(実話)は出なかったですか?ミゼット→万博アメリカ館→東京ドーム…それだけで生活娯楽の戦後史が書けそうじゃないですか!

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