講演会「万博公園の自立した森づくり」 抄録

7月2日(土)14:00から講座室で森本幸裕京都大学大学院教授の講演会がありました。

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私は2002年にNHKで樹木ウォッチングという番組を担当しました。趣味の園芸の本はよく売れてるように、花のファンは多いのですが樹木のファンは花の10分の1くらいだろうと思われていました。当然樹木ウォッチングの視聴率は低いだろうと思われていたのに想定外の視聴率を得て担当者はNHK社内で表彰されたそうです。

樹木の成長には時間がかかるので同じ人が何回も経験できるものではなく経験が蓄積されにくいものです。私は最初は吉村元男さんのアイディアのもと、先輩に尋ねながら万博の森の設計を手伝い、その後も調査と管理に協力してきましたが、 いろいろ失敗しました。失敗しながら大勢のスタッフとなんとかやってきたところです。途中からは1990年代おわりころアメリカで言われだしたアダプティブマネージメント(順応的管理)という手法/概念でやってきました。私はみなさんんといっしょに万博で学びつつあるところです。

私は京都大学地球環境学堂景観生態保全論分野というところに所属してます。この「地球環境学堂」というのは環境のマネージメントを考え実践的なことをする大学院です。学部学生はいません。そして吹田の街なかの万博で森を作ってます。万博の森は日本ではじめて造成地に森を作った歴史的なものです。「なぜ都市のような地価の高い所に自然という儲からないものを作るのか?」と聞かれます。

2008年の世界人口白書ではいなかに住む人より都市に住む人が増えてきてます。先進国では人口の75%が都市に住み、全世界の人口の50%は都市に住むようになり、今後ますます都市の人口は増える傾向にあります。
つまり自然保護や生態系を考えるときもはや都市を抜きに考えられなくなってきているのです。

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1)都市は自然を切り開いて作ったものだから生き物がいなくて当たり前?
都市にも野生動植物はやってきます。人間が手を加えれば希少種を含め、生き物の存続も可能な場所なのです。万博公園を含め都市の自然とは三次的な自然と言えるのです。

2)自然なら自然公園や奥山にあるのに都市で自然が必要なの?
都市が開発される前にその場所にいた生き物は、奥山では生息できない種類のものだっただろう。多くの都市は川など水辺に沿った平野に作られている。干潟、氾濫原湿地などは奥山には存在しない自然であり、そういう場所が都市になっていることが多い。つまり都市でそれら(奥山にはいない生き物)を保全しておく必要があるのではないだろうか。万博公園のある千里丘陵は大阪層群といって岩石の存在しない丘陵なので開発しやすかったのです。千里丘陵には奥山にはない、湧水湿地や棚田のような自然がありました。そのような場所で生息していた生き物は現在の都市でしか生きていけないものなのです。

3)都市の生き物や自然って役に立つの?便利で安全な都市生活が一番ではないのか?
それら丘陵地の生き物は存在した方がいいかもしれないが、いなくたっていいのではないのかという疑問があります。自然の恵み(生態系サービス)の考え方からはそれらは存在した方がいいのです。たとえばヒートアイランド現象は自然が失われたから生じた現象だし、雨水の保水作用も自然の恵みなのです。生き物のいる環境は保水力があり、地球温暖化に伴う集中豪雨の被害を軽減してくれます。都市で生き物のいる環境は高い経済的価値を持っているといえます。

万博公園の自立した森づくり
万博終了直後のころは極相林とか生態系という言葉はありましたが生物多様性と言う言葉はない時代でした。森づくりという点では前例として1926年からつくられた明治神宮の森や1941年から作られた橿原神宮(かしはらじんぐう)の森がありますが、どちらも造成地ではないので木は植えれば育つ場所でした。

造成地に森を作ることは前例がなく試行錯誤の連続でした。40年たって見かけ上はそれなりの森になっていますが、周囲が住宅地、北摂の山から孤立した立地など課題があり自立した自然とまでは言えないようです。

なぜこのような大規模な緑が必要なのか
万博公園が開発される前の千里丘陵は里山でモリアオガエルやカスミサンショウウオなどもいる自然環境でした。自立した森を目指すには大規模にした方が、公園内に川を流したり丘を作ったりして自然に近いようなデザインができます。実際の自然なら洪水や津波、火事もあるのですが、さすがにそこまでは作れません。造園屋さんの限界です。

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上のグラフは京都の公園・緑地での調査結果です。緑地の面積が広いほど木、シダ、鳥そしてアリの種数が増えるのです。さらに、大規模な緑地でないと生息できない生き物もあります。万博公園でのオオタカはその典型です。

そのようにして森づくりをはじめましたが大阪層群は100万年前の海底で粘土層はpH3~4という強酸性土壌でなかなか樹木は育たず、10年で大きくなったのはギンドロとかフウといった外来種ばかりでした。さらにモヤシのような木々が密生して、はじめのころはキジが見られたのに今ではまったくキジの姿を見ることができなくなってきています。
そこで90年代おわりころからギャップ更新といって一部の樹木を伐採して光が地面に届くようにしたり工夫をはじめています。そんななかでキンランやギンランが生えてきたことは土地が肥えてきた証拠といえます。

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こんにち上のスライドのような仕組みでさらに自立した森をめざして努力しています。市民の皆さんも意見を述べて意思決定に参画してくださることを期待しています。

ここから龍谷大学講師の須川恒先生の司会で話が続きました。

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大きな緑地と小さな緑地
平安神宮の森は小さな緑地です。しかしそこには琵琶湖の絶滅危惧種が生息しているのです。琵琶湖疎水から水をひいてますが、琵琶湖に赤潮が発生したときから取水口にフィルター入れたそうです。そのおかげで、その後急激に増えたブラックバスの侵入を防ぐことができました。その意味でここは孤立した緑地です。このように小さな緑地は大きな緑地に比べるとデメリットが多いのですが、うまく管理するとメリットもたくさん出てきます。
大きな緑地には多くの種が生息します。しかし小さい緑地にいる生き物は必ずしも大きな緑地にいるとは限らないのです。その点では庭先の緑も工夫次第で意味が出てきます。

ロンドンでは住宅デベロッパーが自然再生のための資金を出しています。緑地の前にある高級マンションはその価値があがるのでデベロッパーは緑地に投資してもペイするのです。これは日本では見られない現象で英国の文化と言えるでしょう。

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健康づくり面での都市緑地の役割
万博公園など都市の緑地は、健康上のリスクのある人でも安心して緑に親しめる場所であり、緑の利用の新しい形になっています。

質問:吹田では大きな緑地がマンションになり小さな公園になっていってる。これでいいのか?
「小さい緑地をたくさんか大きいのを少しか」という議論には「生き物の種類は小さいのが多い方がいい」というように(生物多様性の点で)ある程度結論が出てます。しかし一方、オオタカのように大きな緑地でしか住めない動植物もいることは確かです。アフリカでおこなわれている肉食獣の保護といった観点では大きなのが1個のほうがいいのです。しかし環境の変化を考えるとリスクを分散させたほうが得、意義があるといえるでしょう。

最後に、近畿圏の大事な緑のグランドデザインを描きました。その中で、北摂は万博公園を中心に(吹田のマンションや庭の緑も含めて)緑の多い場所として位置づけられています。それらの緑をメンテ(維持管理)してるのは市民だし恩恵を受けるのも市民なのです。
こんにち万博機構が万博公園で森づくりをしてますが、今後この組織は大阪府に移管されます。今日の自立した森づくりをどのようにしたら大阪府に理解してもらえるものやら不安がいっぱいです。

(おーぼら)

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