「消防隊員からみた被災地」

7月23日(土)午後2時から、東日本大震災の被災地で、被災直後に救助活動をした吹田市緊急消防援助隊の薦田さんと、4月に障害者支援活動をしたさつき福祉会の鴨居さんの講演会がありました。

画像

薦田さんは吹田市消防本部の緊急消防援助隊所属です。いわゆるレスキュー隊員で、国際救助隊(IRT:International Rescue Team of Japan Fire-Service)の登録隊員にもなっていらっしゃいます。

画像

3月11日14時46分東日本大震災発生、吹田市消防本部は、その5時間後の、20時に薦田さんの所属する緊急消防援助隊の第一陣を出発させました。被害状況もまだよくわかっていませんでしたが、とりあえず関東方面をめざして出発、途中で岩手県大槌町派遣が決まったそうです。薦田さんは第2陣、3月13日に出発しました。
大槌町に向かう大阪府チーム。府下の市町村から派遣された消防車(日本の消防は市町村が担っています)がずらり

画像

80km離れた遠野市の高校の体育館で、600人が寝泊まりし、毎日1時間かけて大槌町まで行きました。食事は災害保存食用のおにぎりやラーメンなどでした。
現地での作業の様子

画像

四角い平面のTV画面のなかでだけで見るのと、360°の視界全部にそれがひろがっているのとでは、受ける印象がまったくちがう、何とも表現できない凄まじさだったと言っておられました。
救助犬も来ていました。

画像

彼らの嗅覚は鋭く、レスキュー隊員のニオイがすると混乱するので、一緒には活動できないそうです。

画像

画像

まだもう1人、話があるんですが・・・乱入するカンチョー

画像

このあと短い休憩をはさんで、30分ほど社会福祉法人さつき福祉会の鴨井さんの話をうかがいました。鴨井さんは、4月上旬に福島で、JDF(日本障害フォーラム)被災地障がい者支援センターふくしまのたちあげに関わる活動をされました。

画像

日に5~8ヶ所の避難所をまわったそうですが、障害者はなかなか避難所に来ることがむずかしい(避難所は、肉体的にも精神的にもバリアフリーでない)、孤立してしまって支援がうけにくい(避難所にしか支援物資が届かない)などの問題点があり、障害者の被害は通常よりも2倍は大きかったということでした。

恒例のカンチョー乱入、フロアからの質問も活発でした。

画像

Q 当日の夜という実に早い出動決定だったが、どこが決めたのか?
A 出動要請は、国(消防は総務庁管轄)から(→府とりまとめ→市町村)。
A 福祉のほうは、要請が混乱していた感がある。
Q においがひどいと聞いているが、どうだったか?
A まだ直後だっこともあり腐臭は感じなかった。山火事が起こっていたので、その火事のにおいが充満していた。
Q 自衛隊は来ていたのか?
A 来ていたが、一緒に活動することはなかった。ただ、われわれのために、道をつくってくれたりしたことはあった。
Q ニュースなどの情報はどうやって入手していたのか。
A おもにラジオから。情報は少なかった。電波塔が被災していたようで、携帯電話はほとんど通じなかった。
カ さわる展などをやって感じることは、障害者支援の活動は、人と人のつながり・たすけあいが基本にあり蓄積がある。そこを見習わなければならないと思う。

救助工作車も博物館に出していただきましたので、見学しました。
この車は水も積めるタイプです。たくさんの備品がキチンと整理整頓されていて、ピカピカ・・・レスキュー隊の矜恃を感じました。

画像

(こぼら)

夏季特別展プログラムはこちらから

コメント

  1. wasuremono より:

    救助隊の人たちって、もう帰ってきてしまっているのですか?

  2. 浪速の世話焼き より:

    レスキュー隊の矜恃を感じました。
    矜恃(きょうじ)とは
    自信と誇り。自信や誇りを持って、堂々と振る舞うこと。プライド。「矜持」とも書きます。

タイトルとURLをコピーしました